表向き同調し、匿名だと叩く日本人の不思議 同調はしていても、けっして協調していない

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職場の会議では誰も反対意見を口にしないケースが多いのに、SNSになると”饒舌”になるのはなぜなのか(写真:xiangtao/PIXTA)
2018年に日本初のアフリカ系学長として、京都精華大学の学長に就いたウスビ・サコ氏。マリ共和国の奨学生として中国、日本と渡り歩く中で偏見、差別や区別を体験しながら、ブレない核を保ちつつ自身を成長させてきたといいます。本稿では、著書『「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと』から、多様化する中で、日本人が自分の本音を言える環境を作ることの重要性を説きます。

人の心には必ず偏見がある

私が京都でお年寄りに道を尋ねると、話の途中で言葉をさえぎるように「ごめん、英語、わからへん」と返されてしまうことがあります。

「いやいや、おばあさん。私は日本語で話してますよ。日本語ですよ。日本語」と伝えても、「英語わからへん、英語わからへんから」と繰り返すだけなのです。こうした人たちは、私の外見をみて、「英語で話しかけられている」と思い込んでしまっているのでしょう。お年寄りに限らず、若い人でも似たような先入観を抱いたり、話しかけられること自体に抵抗を覚えてしまったりすることはありませんか。

京都精華大学のスクーリングで初対面の高校生たちに「私(サコ)のイメージを言葉で表現してみてください」と質問したことがあります。すると「外国人」「黒い」「お金持ちそう」という答えが返ってきました。

今度は、まったく同じ質問を、普段から私の講義を受けている学生にもしてみました。返ってきた答えは次のようなものでした。「マフィア」「アラブの石油王」「アフリカ」「外国の人」「黒い」。意外にも、初対面の高校生の回答とほとんど同じ。

つまり、どんな人間も偏見や先入観を捨てることはできず、相手の性格や性質を実際の言動から判断する『目』を持つことはとても難しいのです。

人は自分が生まれてから見聞きした経験を記憶し、その記憶に基づいて物事を判断しようとする生き物です。だから、どんな人でも偏見や先入観を持っています。偏見や先入観を持つこと自体は否定できません。ただ、多様化が加速するグローバルな時代においては、当然ながらステレオタイプな発想から抜け出し、柔軟に受け入れる姿勢が求められます。

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