表向き同調し、匿名だと叩く日本人の不思議 同調はしていても、けっして協調していない

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そこで重要なのは、まず、自分の偏見や先入観に自覚的になること。それが相手との違いを認め合いながら学ぶための第一歩となります。

あなたは外国の人に「10時」と言われたら、何を想像しますか。ある文化圏の人は「礼拝をする時間」と捉えるかもしれませんし、もしかしたら「お茶を飲んで休憩する時間だ」と想像するかもしれません。同じ「10時」でも、捉え方はバラバラです。直接、人と関わることで物事の捉え方が多角的になるのです。

同調するだけでは協調できない

日本社会は本当に多様化が進んでいるのでしょうか。日本では「空気を読む」ことがいまだによしとされ、多数派の主張に反論することがはばかられる風潮があります。

私から見て、「違い」を受け入れるのが苦手な日本人は、「協調性」という言葉を誤解しています。たとえば、職場の会議などでは決して核心を突いた発言はせず、とりあえず同調したような態度を取る。こうやって同調することを協調性として捉えています。

しかし、そうやって実質的には全員賛成で物事が決められていく一方で、腹の中で異論をくすぶらせている人がいるケースも少なくありません。

多くの人に「相手の考えを否定するのは気がとがめる」という思いと、「自分の意見を否定されるのはたまらない」との思いが同居しているのです。反対意見を提示されると、自分の人格を否定された気になり落ち込む人もいます。

私は自分の考えを否定されても傷つきませんし、むしろ自分の人格を認めてもらっていると実感します。

私は「協調性」を、人と一緒に何かのゴールを目指すイメージで捉えています。ゴールを目指す過程では、お互いに意見を出し合う必要があります。

そこでは当然、コンフリクト(衝突)が生じることは避けられないでしょう。むしろ、何一つ異論がなく物事が決まっていくほうが不自然ではないでしょうか。誰も意見を出さないまま「協調」するなんて、独裁そのものではないですか。

職場の会議では誰も反対意見を口にしないケースが多いのに、なぜかSNS上では、他人の意見どころか、人格そのものまでを否定するネガティブなコメント、マイナスの言説があふれています。「匿名だったらどんな誹謗中傷をしてもいい」というのは、やはり問題があります。

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