表向き同調し、匿名だと叩く日本人の不思議 同調はしていても、けっして協調していない

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SNSにかかわっていくときには、メディアリテラシーの重要性がますます高まっています。私は、メディアリテラシーを「自分の価値観を持つこと」と解釈しています。

より具体的に言うと、何かの情報を見聞きしたときに反射的にコメントするのではなく、いったん立ち止まるべきです。そして、その情報を広める前に自ら複数の視点で調べてみるのです。

何かの犯罪が発生したとき、無実の第三者を犯人であると特定する書き込みが拡散されます。いわゆるフェイクニュースです。そういったフェイクニュースは人の素朴な正義感に訴えるので、「善意」のもとあっという間に広がります。

しかし、こういった思わず広めたくなる情報に接したときこそ、自らの価値観に基づいて、きちんと検証する態度が求められるのです。

なぜ本音で語ることを怖がるのか

多様化する世界で相互理解を深めるには、他人の意見に流されるのではなく、本音で生きることは非常に大事です。しかし、日本では多くの人は本音を押し隠しながら生きています。表面上の人間関係は平穏なのですが、言いたいことが言えずにストレスをためています。

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大学では教員や職員がお互いに物事をお願いするとき、他人経由でお願いされることがあるようです。

たとえば、ある組織に所属したいことを自分からは直接はっきり言わず、「周囲から『あなたに適している』『やったほうがいいのでは』と言われた」という体裁を取り繕って、間接的に提案してくるケースもあります。こういう話を聞くと、自分がやりたいなら「やりたい」と言えばいいのでは……と思ってしまいます。

日本には、お酒の場では腹を割って本音で話せる文化があるのも知っています。これもちょっとずるいな、と思います。お酒の力を借りて口にする本音って、どうなのでしょうか。しらふでいるときにはずっと本音を隠しながら生活しているということなのでしょうか。考えれば考えるほど謎です。

しかも、せっかくお酒の場で本音を語ったと思ったら、翌日にはすっかり「なかったこと」になったりするからやっかいです。お酒の場で本音が言えるのなら、日常でも語ってほしいし、お酒の場でいったん口にしたのなら、せめて責任を取ってほしいのですが、そんな大人たちを見てどう思いますか。

本音とは、もっとも重要な心の声、あなたの「ヴォイス」です。多様化し、不確実さが増す世界では、「ヴォイス」をしっかりと持つべきなのです。何かの力に頼って本音を吐き出したつもりになっているではなく、真に突き詰めて自らの「ヴォイス」を見つけ出すことが、どんな価値観にも流されない自分を作る第一歩になるのです。

ウスビ・サコ 京都精華大学学長、工学博士

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Oussouby Sacko

1966年、マリ共和国生まれ。高校卒業と同時に国の奨学金を得て中国に留学。中国・北京語言大学、南京市の東南大学等に6年間滞在して建築学を実践的に学ぶ。1991年、来日。同年9月から京都大学大学院で建築計画を学ぶ。京都大学大学院建築学専攻博士課程修了後も日本学術振興会特別研究員として京都大学に残り、2001年に京都精華大学人文学部教員に着任。専門は空間人類学。「京都の町屋再生」「コミュニティ再生」など社会と建築の関係性を様々な角度から調査研究している。2013年に人文学部学部長、2018年4月同大学学長に就任。

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