踏まれるほど強くなる「雑草」の凄すぎる生き様 逆境の中で合理的に生きるオオバコの生態

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逆境といっても、さまざまな種類がある。弱者である雑草にとって、「逆境を利用する」ことは基本的な戦略ではあるが、逆境であれば、何でもいいというわけではない。

踏まれるという逆境の場所では、踏まれることに強い雑草が生える。草刈りをされる場所では、草刈りに強い雑草が生える。草取りをされる場所では、草取りに強い雑草が、耕される場所では、耕されることに強い雑草が生える。

こうして、すべての雑草が、自分の得意な場所で勝負しているのである。

数ある雑草に降りかかる逆境の中でも「踏まれること」は、もっとも雑草らしい象徴的な出来事だろう。

踏まれる雑草は多いが、その代表格とも呼べるのが、オオバコである。
よく踏まれる道に生えるオオバコを漢字で表すと、「大葉子」である。その名のとおり、大きな葉が特徴的だ。

その葉は見た目にはとても柔らかい。しかし、柔らかいだけでは、踏まれたときに葉がちぎれてしまう。オオバコの葉を見ると、柔らかい葉の中に丈夫な筋がしっかりと通っている。そのため、オオバコの葉は踏みにじられても、なかなかちぎれないのだ。

柔らかいだけでは簡単にちぎれてしまう。柔らかさの中に固さがあるから、その柔らかな葉は丈夫なのである。

茎は逆に外側が固くなかなか切れないが、中はスポンジ状になっていて、よくしなる。やはり、固さと柔らかさを併せ持っているのである。

柔よく剛を制す 

「柔よく剛を制す」という言葉がある。これは、剛よりも柔が強いと解釈されがちだが、本当は違う。

実際には、「柔も剛もそれぞれの強さがあるので併せ持つことが大切である」という意味の言葉なのである。

固いだけでは、強い力がかかると耐えきれずに折れてしまう。柔らかいだけではちぎれてしまう。固さの中にしなやかな柔らかさを持ち、柔らかさの中にしっかりとした固さを持っている。それがオオバコの踏まれることに対する強さの秘密なのである。

これは「しなやかさ」という言葉で表すことができるだろう。踏まれることに対して求められるのは、外からの力を受け流す「しなやかさ」なのだ。

私は、オオバコのことを「踏まれるスペシャリスト」と呼んでいる。しかし、私がオオバコのことをスペシャリストであるとまで言うのは、単に踏まれることに強いからではない。オオバコは踏まれることを、巧みに利用しているのである。

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