幻の日産「MID4」を操った男の忘れられない記憶 市販化とはならなかったが技術は受け継がれた

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そんなMID4 Ⅱのステアリングを握る機会があった。場所は追浜にあるテストコースだが、メインコースではなく「サーキット路」。幅は狭く、エスケープゾーンもほとんどないに等しい。当時の試作レベルのクルマ、とくに高性能車を走らせるのには結構タフなコースだった。

それでも、新しいクルマに乗る前はいつもそうだが、ワクワクしていた。ところが、走り出してすぐ……2〜3のコーナーを走り抜けただけで、試乗車がまっとうな仕上がりではないことがわかった。

詳細は覚えていないが、リアの据わりが悪く、クルマ全体の挙動もつかみどころがない。とにかく「怖かった!」ことを覚えている。

まさかの「大スピン」

ミッドシップ4WDであれば、まずは「リアがしっかり踏ん張って……」という挙動/感覚を期待するわけだが、そんな期待は一瞬で消えた。

しかし、乗った以上、走り出した以上、できるだけ多くを掴み取らなければならない。それも、確か「数周」に制限された枠内で、だ。

そんなことで「恐怖と戦いながら」攻められるだけ攻めたのだが、2周目か3周目に大スピンをやらかした。

あっという間の出来事だった。リアがほんのわずか滑り出したことを察知した次の瞬間、MID4はクルリと回っていた。僕はまったくなにもできなかった。コース上に留まれたのは不幸中の幸いだったが、それも結果としてそうなっただけで、僕のコントロールが的確だったゆえではない。

「予期せぬ出来事!?」とはこういうことを指すのだろう。僕は基本的にスピンするような走り方はしない。ていねいに追い込んでゆき、わずかに滑り出した辺りでコントロールする。

だから、クルマを潰したこともない。スピンも、長いクルマ人生で2度だけ。1度はこのMID4でのスピン。もう一度はフェラーリ・308でのスピン。いずれも昔の話である。

ちなみに、追浜での試乗会が行われた時点では市販化も検討されていたようだが、特別なアナウンスもなくMID4は姿を消した。

その理由は定かではないが、1つはコストと販売価格の問題。もう1つは、当時の日産の超過密だった開発スケジュールの中にMID4のような難しいクルマが入り込む余地はなかった……そんな辺りがいちばんの理由ではなかったか。

MID4はスッと現れて、スッと消えた。「幻」のようなクルマだった……が、そこに組み込まれるはずだった技術要素の多くは、R32GT-Rを始めとした、その後の日産車に受け継がれた。そんな見方をすれば、MID4は価値ある存在だったとも言える。僕はそう思いたい。

(文:岡崎宏司/自動車ジャーナリスト)

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