幻の日産「MID4」を操った男の忘れられない記憶 市販化とはならなかったが技術は受け継がれた
それをもっとも鮮明に示したのが、ニュールブルクリンクのタイム。当時は「9分を切れば一流のスポーツカー」とされたが、R32GT-Rは、初アタックで、いきなり8分24秒をたたき出した。
ついでに言えば、ニュールブルクリンク新人の僕が、2ラップ目に8分40秒を出したこと。これは「恐るべき!」と言っていいレベルの出来事である。
R32GT-Rほどのセンセーションはなかったが、同時期に出たP10型プリメーラも901活動が生んだ傑作。欧州市場をメインターゲットにしたFFのコンパクトセダンだが、とくに高速安定性は世界を驚かせた。
「901活動」は大きな成果を収めたが、そんな活動をシンボライズし、形にしてアピールしようとしたのがMID4だったということ。
「ポルシェに追いつき、ポルシェを超える」
そして、2年後の1987年。東京モーターショーの日産ブースに多くの観客を引き寄せたのがMID4 Ⅱ。タイプⅠでは??の付いた全幅もタイプⅡでは1860mmになり、ルックスもグンとモダンになり洗練されていた。
インテリアも同様に進化。市販化を見据えたものであることを伺わせたが、その背景にはポルシェ・959(1986年に市販)の存在があった。当時のグループBホモロゲーション・モデルは200台以上の生産が求められたが、人気は高く、最終的には283台生産されたようだ。
その内の1台を日産が所有。僕も栃木のテストコースで乗った。換えの効かない貴重な研究資材ということで追い込んだ走りは許されなかったが、貴重な経験になった。
高速になるほど路面に貼りつく感覚になり、いつもは神経を張り詰めるようなコーナリング速度でも、アッサリとクリアしてしまうことに驚いたものだ。そんなポルシェ・959の走りを体験した日産開発陣が熱く燃えただろうことは想像に難くない。
959を追うのは無理としても、901活動に関わった日産技術陣の目標は「ポルシェに追いつき、ポルシェを超える」ことだったと思う。
901活動の場でも、参考車としてポルシェ・944ターボと928が用意された。とくに944ターボは、当時「世界のベストハンドリングカー」とされていたが、僕も異論はなかった。
しかし、R32GT-Rの開発が進むにつれて944ターボの存在感は薄れ、比較する意味は薄れていった。アウトバーンとニュールブルクリンクでの最終テストには944ターボも持ち込まれたが、アウトバーンでの200km/h 超領域での安定性チェックに「一応」参加はしたものの、すぐお役ご免になった。
MID4 Ⅱに話を戻そう。
MID4 Ⅰがミッドシップに積んだ3ℓV6はターボなし。最高出力は230psに留まっていた。が、MID4 Ⅱはツインターボを装着。330psにまで最高出力は引き上げられた。
トランスミッションは5速MTで、縦置きに積まれたエンジンの前方に配置。ビスカスカップリングとセンターデフを組みあわせたフルタイム4WD方式はそのまま引き継がれた。