幻の日産「MID4」を操った男の忘れられない記憶 市販化とはならなかったが技術は受け継がれた
「幻の日産MID4」は怖かった!?
「日産MID4」……そこそこのお歳のクルマ好きなら、覚えているかと思う。1985年のフランクフルトと東京モーターショーにコンセプトカーとして出展され、大きな話題を呼んだ。
80年代後半は好景気の最中、記憶に残るクルマが世に送り出されたが、「幻」に終わったクルマもあった。そんな中で僕の記憶にもっとも強く残る「幻の1台」が日産MID4。
MID4は、その名の示すとおり、コクピットの背後に3ℓ・V6を積み、センターデフにビスカスカップリングを組み合わせたフルタイム4WDのスポーツカー。
MID4には、タイプⅠとタイプⅡがあったが、まずはタイプⅠから話を進めてゆこう。
タイプⅠ……僕には古典的に見えたし、強く惹かれるものもなかった。が、東京モーターショーでは大人気だった。日本からスーパースポーツカーが誕生するかもしれない……そんなワクワクした期待感の表れだろう。
スリーサイズは4150 ×1770×1200mm。全高が1200mmと低いのはさすがだが、1770mmの全幅には??マークが付いた。
タイプⅠの時点では、将来販売しようという意図はなかった。当時、日産は「901活動」なるものを行っており、いわばその意図/目的を集約して示すのがMID4の役割だった。
「901活動」は、以前にもご紹介したことがあるが、「1990年代に世界一の走り実現する」という壮大なプロジェクト。僕も参加したが、多くの、それも宝物級の思い出がある。
中でも、R32型スカイラインGT-Rは「超意欲作!」だった。その「動質」は日本の常識だけではなく、世界の常識をも覆すもので、旋回性能も高速安定性も異次元レベルだった。