なぜこんな高さに?「高すぎる」線路と駅の謎 上野東京ラインや五反田駅、それぞれに理由

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高架をまたぐための高架はどうしても高くなってしまう。北戸田駅と同じ埼玉県内の例として、JR武蔵野線をまたぐ東武伊勢崎線(スカイツリーライン)の新越谷駅がある。武蔵野線の駅は南越谷駅で、駅名は異なるが乗り換え駅だ。

伊勢崎線はもともと地上を走っており、あとから開業した武蔵野線が高架でクロスする構造だった。ただ、駅の開業自体は武蔵野線が先で、のちに東武が乗り換え駅として新越谷駅を開業した。街の分断を解消するため1993~1994年に高架化され、武蔵野線の上をさらにまたぐ形になった。このため、ホームはビルの5階くらいの高さがある。

戦前生まれの「高い高架駅」五反田

東急池上線の五反田駅も高いところにある高架駅としてよく知られる存在だ。駅ビル「五反田東急スクエア」の4階と同じ高さにあり、ホームは山手線の高架ホームをまたぐような形になっている。山手線から乗り換える人はホームの端にある長いエスカレーター、もしくは階段を利用する。

ほぼ真下から見上げた東急池上線の五反田駅。左側は山手線の高架だ(筆者撮影)

もともと東急池上線は池上電気鉄道という会社が経営しており、当初のターミナルは現在の大崎広小路駅の位置にあった。経営の厳しかった池上電気鉄道は都心進出を目指し、五反田駅で山手線をまたぐ高さの高架線を建設して線路を五反田駅まで伸ばした。駅の開業は昭和初期の1928年。その先は白金方面に延伸する計画があったという。

しかし池上電気鉄道は経営状態が悪く、目黒蒲田電鉄(東急電鉄の前身)に買収され、計画は頓挫した。その後、昭和30年代には大崎広小路―戸越銀座間の桐ケ谷駅(1952年廃止)を復活させたうえで、同駅から泉岳寺方面へ地下線を建設して五反田駅を地下に移設し、地下鉄と相互直通運転を行う構想もあった。だが、この計画も消え、五反田駅は山手線をまたぐ高い位置に存在し続けている。

もっとも、地下鉄直通計画は現在から見ると実現しなくてよかっただろう。池上線は多くの駅でホームが地上にありアクセスしやすく、駅間距離も短く気軽に乗れる路線として地元の人に親しまれている。しかも本数も多い。都心に直通しなかったことでかえってこの路線のよさを引き出すことができたのではないだろうか。東急も池上線を暮らしやすい路線としてアピールしている。

高い位置にある路線や駅にはそれぞれの理由があり、その理由をさぐると「なるほど!」と思わせるものが多くある。近所の興味深い駅に注目してはいかがだろうか。

小林 拓矢 フリーライター

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こばやし たくや / Takuya Kobayashi

1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学卒。在学時は鉄道研究会に在籍。鉄道・時事その他について執筆。著書は『早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした』(講談社)。また ニッポン鉄道旅行研究会『週末鉄道旅行』(宝島社新書)に執筆参加。

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