彼女は、大型家具や冷蔵庫などを移動して掃除するのも日常で、5月の風もホコリを運ぶので窓を開けないなど、徹底しています。汚れる前に定期的に丁寧に掃除をするのですから毎日が真剣勝負で、彼女宅の訪問には、用事がある知人でさえも随分気を使います。
ベランダや玄関の外回りを掃除する彼女の予定日が雨だったので、その日は大丈夫だろうと訪ねた知人が目撃したのは、彼女が片手に傘を持ち、片手にタワシを持ってゴシゴシと、玄関の石畳かタイルかを磨いていた姿だそうです。
信じていただけるか心配ですが、私はこのように「掃除が命」の人をあと3人も知っています。私の広くない交流範囲内での4例ですから、これは決して例外とは思えないのです。極端かもしれませんが、きれい好きな主婦の家族が必ずしも幸せでなかった実例を、私は詳しく紹介することができます。
外見を気にしすぎる人は心が貧しい
また別の友人である富士子さんが何の予備知識もないままに、私の用事でこのうちの2軒を訪ねたときの話です。富士子さんはたいへん社交家で、場数を踏んでいる経験から、人を見る目がいつも確かです。その彼女が神妙な顔つきで「今日の2人はパンプキンとはどのようなお付き合い?」と聞くのです。
彼女は、「(庭も玄関も完璧に清潔で)どこで靴を脱げばいいのかわからないほど家を磨き倒している人は、たいてい自分がいちばん大切で見栄っ張りが多く、いい人間関係を築いている人をみたことがない。あまり親しくしないほうがいい」と言うのです(世のきれい好きな方たちへ。先の4人は外見を気にしすぎて、人間関係をおろそかにした人たちの話です。誤解がありませんように)。
不思議なことに、彼女たちが育てた子供たちは、身勝手な子が多く、他者を思いやって生きているようには見えません。他者を思いやるということは、時々、物心どちらかで多少の損か犠牲を伴う場合もあると思うのですが(むしろその損か犠牲を喜びに感じることだと思うのですが)、信じられないことですが、彼・彼女たちにはその母親も含めて、そんなことは価値でも何でもありません。
逆にそのような行為を「格好つけているだけ」と一蹴します。そんなふうに育った子供たちは長じては親子間、兄妹間で絶望的なケンカが絶えないのも共通していて、いい友人がいるようにも見えません。私が「身勝手な子が多い」と感じたゆえんです。母親が“掃除が命”のあまり、自分や家族の心磨きを忘れた人たちのように、私には見えました。
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