少年ジャンプが転機「漫画海外進出」の難しさ 90年代に入りようやく現地で普及し始めた

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1970年、コミック・ブック・コンベンションのイベントを実施する略称コミコン(Comic-Con)が誕生した。コミコンはやがてアメリカ最大のコミックの祭典となり、世界中から10万人単位の来場者を集め、会場周辺ではコスプレに身を包んだ若者がお祭り騒ぎをする大イベントに発展するが、その道のりは平坦ではない。堀淵清治は1986年のコミコンについて、こう実状を紹介している。

まだ規模がだいぶ小さく、いま(2006年)とはかなり様相が違っていた。開催場所も現在のコンベンションセンターのような大箱ではなく、サンディエゴ市が運営する体育館のようなところ。参加者も1万人弱だったように思う。

1986年当時のコミコンは完全なる「ナード(Nerd=変わり者)の世界」だった。メインはあくまでもコミックスを買い集めるコレクターたちであり、出展者もアメコミ出版社とコミックショップが中心。雰囲気的には、日本の同人誌コミックスの祭典である「コミケ」の規模をうんと小さくしたような感じである。

90年代に入り日本のマンガが普及し始める

当時はまだ日本マンガ市場はアメリカで、かなりマイナーなものであった。そのなかから商業的なマンガ出版が徐々に本格化していくのは1990年代に入ってからである。コレクター主導から一般読者への波及へと徐々に変化がなされてきた。

そして1990年代終わりからの日本マンガは飛躍的に普及していくのである。『電撃!ピカチュウ』『NARUTO』などの作品以外に、高橋留美子『INU-YASHA』(『少年サンデー』連載、「犬夜叉」)、中条比紗也『Hana-Kimi』(白泉社『花とゆめ』連載、「花ざかりの君たちへ」)、荒川弘『FULLMETAL ALCHEMIST』(「鋼(はがね)の錬金術師」)、矢沢あい『NANA』など、好調な売れ行きを示すマンガ本が途切れなく登場し、日本アニメの専門雑誌も刊行されるようになった。

その発展を基盤として『少年ジャンプ』のアメリカ版が刊行される。それは日本マンガが海外でメジャー化したことを示す象徴的出来事でもあった。『SHONEN JUMP』はアメリカ雑誌史上初のナショナルコミックマガジンとして、2002年11月に創刊された。創刊号の発行部数は50万部。「遊☆戯☆王」カードを付録にしたこともあって大きな話題を得た。

当時、アメリカでは雑誌の87%が定期購読であり、『SHONEN JUMP』の成功はマンガの基礎読者を増やし、裾野を広げることに役立っている。

英語版コミックスの成功は、世界中の英語圏読者の獲得に結びつくことであり、英語圏を超えた多言語翻訳への契機も生むことになった。

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