BRTは赤字・被災鉄道よりも大都市にふさわしい 地方でなく都市圏での導入にメリットがある
それに対して近年の流行となっているのが、日田彦山線のようなローカル鉄道の置き換え手段としてのBRT導入である。きっかけは、東日本大震災で甚大な被害を受けた、気仙沼線柳津―気仙沼間と、大船渡線気仙沼―盛間だ。
いずれも巨額の復旧費用が見積もられ、鉄道で運転を再開したとしても利用客数は少なく、設備投資への見返りは期待できない。それゆえ安価なBRTが導入された経緯がある。いわば緊急避難的な導入だった。日田彦山線も、状況としては同じだ。
しかし、気仙沼線、大船渡線では、大型貨物車による復興資材の輸送が一段落すると、並行する国道45号線の通行量は減り、もともと道路信号も少なかったから、BRTのメリットが薄れるという現象が生じている。国道は片側1車線だが、鉄道でいえば複線。今はいたってスムーズに走れる。病院や学校などにバスが立ち寄ることも難しくない。
それに対し単線の鉄道を専用道化しても、幅はバス1台分がやっと。駅以外にも行き違い場所が設けられ、そこでは停車が必要だ。正面衝突を避ける保安装置が搭載されているから、その操作のためである。バスから信号を発して対向車が来ていないことを確認する。国道なら信号のタイミング次第で停留所間を無停車で走り抜けられるが、正直いえばBRTはまだるっこしい。
基幹バスやガイドウェイバスは「複線」を確保しており、このような心配はない。しかし、単線の鉄道を改築したならば、果たして高速と呼べるシステムになり得るのか。不安が残る。
「専用道を走るバス」
「専用道を走るバス」という意味では、その元祖の1つが国鉄白棚(はくほう)線だ。今はJRバス関東が運行している。
この鉄道は福島県の南部、東北本線の白河と水郡線の磐城棚倉の間を結んでいたが、太平洋戦争中の金属供出で線路を外されてバス化。戦後、何度も鉄道復旧がもくろまれたが、費用や利用状況の問題から、国鉄が地元を説得して線路敷をバス専用道化した。
戦争を災害に見立てれば、気仙沼線や大船渡線と事情は似ている。専用道が完成し、当時の名称で「白棚高速線」が開業したのは、1957年である。
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