「日本へのメッセージ--グーグル、若者、メディア、ベンチャー精神について」梅田望夫(後編)
ベンチャーが「うさん臭い」のは当たり前
製造業のメンタリティーでは、「新しい事業をつくることはすごく大事だけど、競争が現れようが何しようがちょっとやそっとのことでは倒れないぐらいのものになって初めて成功だろ」と思うわけ。何百億円の事業ができてとか。それはその通りなんですけど、そのためには15年ぐらいかかるよ。
たとえば、キヤノンがどんなに素晴らしいものつくったといっても、始まりは80年代の半ばでしたとか、90年代ごろからやっていましたとか、必ず15年ぐらいかかりますよ。そうすると、15年かけて成功という定義をすると、仕掛けのビジネス、新しい事業を成功か失敗かわからないまま、どれだけ抱えられますかという問題になってくるんですよ。そうすると、ものすごく儲かっている企業は、たくさん持てるかもしれないけど、普通は持てないですよ。だから、まったく新しい分野に出て行くのはリスクが大きすぎるから、狙いすまして1個か2個、自分たちの強みを活かせる分野で、10年こつこつやりましょうというのが、大企業内の新事業の育て方だよね。これが質実剛健だとみんな思っているわけですよ。
ところが、社会全体で、何だかよくわからないけど、何か新しいものを生みましょうというメカニズムをつくろうとしたら、15年経って成功と言ったら、そのお金どこから持ってくるの、ということになる。今まで日本はその金を銀行の融資から持ってきたわけだ。なんで融資できたかっていったら、創業者が個人保証をしたから。個人保証をしてまで会社をつくる人しか会社をつくれなかったから、新しいことは生まれませんと。だから、この融資の代わりに投資で受けて、何かやりましょうとなったときに、投資のお金ってどこからくるかっていうと、その投資のもととなるお金は銀行だったり、機関投資家なんだから、ここのお金を戻してあげなきゃいけないというふうになる。そうすると、15年経って戻してもしょうがないから、最初にとんでもなくダメなものは排除して、ひょっとしたらうまくいきそうだな、というものを一回成功ということにする。それが新興市場の発明なんですよ。
そうすると、ここで1回成功とすると、そのときに蓋然性が当然あるから、この先、(右肩上がりの)カーブでいくかもしれないけど、ダメになるかもしれない。ビュッといく確率が何%、このままリニアーにいく確率が何%、落ちていく確率が何%、それを計算していくと、今の時点の時価総額はこれくらいですよと。それが上場のときの金額になるわけだ。そこを全部マーケットのメカニズムでやりましょうというのが新興市場で、新興市場がそういうふうに存在するから、はじめてたくさんのトライアルができるようになる。こういうサイクルになるわけだから、このうさん臭さは最後までなくならないわけ。
日本の抱える矛盾
つまり、企業家主導型経済とか、無から有を生み出すことを奨励したいと日本はみんな言っている一方で、新興市場はうさん臭いと言っている。これは間違いなの。この2つ(企業家主導型経済とうさん臭さ)はセットだから、こっち(企業型主導型経済)やりたいなら、これ(うさん臭さ)は飲み込むと、飲み込んだ上で、個別に「これはよくない」とか、制度設計の仕方をきちんとするとか、そういうアプローチをとらなきゃいけない。そこがわかっていない、心から。それは制度設計している人たちもわかってないし、投資する人もわかってないし、ベンチャーをやっている人もわかってないし。新興市場とか企業家主導型経済の心みたいなものが、日本にはない。もとからない。ないものに接木をしたような感じになって。
そうするとね、新興市場には、リスクを計算した時価総額の推定という、実に曖昧なものが土台の中に忍び込んでいるわけですよ。だからそれを捏造してやろうと思う誘惑は必ずある。たとえば、世の中全体が「はてなのことすごいねー」と言ってくれるんだけど、中から見てれば、はてなはすごくもなんともないよ、まだ。「Web2.0だ」って皆さんが書く、「はてなすごいんじゃない」と言う。そうすると、期待というのが高まる、そして、今の時点でのこの会社の可能性の評価が世の中全体で甘くなる。そうするとバブルになるんだよね。だから、バブルの萌芽も組み込まれているし、モラルハザード、要するに業績の捏造とか、誘惑みたいなものも新興市場にはずっとある。