なおグレーの場面で、絶対、空気を読まないというのは、具体的にどういうことかについてですが、なかなかセンシティブな話題はこの場では書けないので、身近なところで思いつくのは高校卒業後の未成年の飲酒実態などでしょうか。
大学生の新歓コンパなどの学生のコミュニティの場では、事実上、黙認されているようなところはありますが、会社の新入社員歓迎会の場などはどうなのか?
特に高卒新入社員がいるような場面では、企業側も腐心しています。
こういうときに若者に理解があるような大人や、昔、自分もそうだったなんて言っている大人とかは、まあまあ固いこと言わずにみたいな感じの空気になりますが、ここでは絶対に飲ませるべきではありません。格好つけているわけでもすかしているわけでもないのですが、そこは絶対に空気を読まない。最初は場が白ける場合もあるのですが、そういうことを繰り返していくとだんだん空気が変わっていきます。一度、空気を読まないと決めたら、周りの空気を真逆の方向に持っていくところまで腹をくくる必要があります。
つまらない例かもしれませんが、要するに「酒を飲ませない」ことが空気を読まないことでなく、「酒を飲ませる」ことが空気を読まないことにまで変えていく覚悟を持つということです。まさに企業の風土改革の相似形そのものです。
試行錯誤するしかない
最後に、空気を読めるようになるにはどうしたらよいか?ということですが、残念ながら私は答えを持ち合わせていません。自分が空気が読めているかは自分ではわからないからです。実際、自信もありません。
ただ言えるのは、空気を読むというのは相手の立場でものを考えられるか、相手の気持ちに寄り添えるかどうかに尽きると思います。そう言ってしまうと身もふたもない抽象論に聞こえるかもしれませんが、自分を相手に置き換えてものを考えられるということは、相手の知りたいことにダイレクトに答えられるということで、究極のコミュニケーションスキルでもあります。こればかりはノウハウはないので、繰り返しいろいろな人と人間関係を構築しながら、試行錯誤で身に付けていくしかありません。自転車に乗れるようになるためには、言葉を尽くして頭で乗るというより、繰り返しで体に覚え込ませるのと一緒で、空気を読むのも理屈ではなく、自分で試行錯誤するしかありません。
私は実際どうなんでしょうか。普段の私を知る人に聞いても、聞くこと自体が空気を読めていないといわれそうです。今回の連載が、はたしてご覧になっている読み手の気持ちに寄り添えて展開できているかどうか。この連載をご覧になっている皆さんに判断を仰ぐしかないのかもしれません。
※ 本文は筆者の個人的見解であり、所属する組織・団体を代表するものではありません。
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