そういった意味で、『死霊』の「痕跡」などは、なまじ内容に日本文学史的な意味があるだけに、単なる「痕跡」としての面白さとは違う価値が付加されてしまい、『痕跡本』道からすれば「高級」どころか「外道」だ。
むしろフツーの市井人の人生が、思いもかけず凝縮されていたり、ある一断面が見事に切り取られて見えたりするところにこそ、『痕跡本』のドキドキがあるのだ。そんな事例をいくつか紹介しよう。
「本を送るから気に入ったらカネを振りこめ」
数年前、古本屋で泥谷良次郎著『預言者 本間俊平』という書名が目についた。予言(未来を予知する)者とは、ノストラダムスみたいな人物のことを指す。それに対し、預言(神の言葉を代弁する)者というからにはインチキ宗教の開祖みたいな人か、どっちにしてもアブノーマルな人っぽいな、とワクワクしながら手に取ったら、本間俊平とは、内村鑑三と親しかった、つまり非常に高潔なキリスト教の伝道者であることが分かった。
後で調べたら著者の泥谷も鹿児島師範学校の校長を務めた立派な人物。ただ悲しいかな、人であっても本であっても、「立派なものよりヘンテコなものが好き」というワタクシとしては、そういう立派な人が書いた立派な人の伝記にはセンサーが働かない。こりゃ購入見送りかなと思いつつ、ふとページをめくると、この本の出版者である四方文吉が、知り合いのBさんに出した葉書が挟まれていた。葉書曰く・・・・、
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