そういった意味で、『死霊』の「痕跡」などは、なまじ内容に日本文学史的な意味があるだけに、単なる「痕跡」としての面白さとは違う価値が付加されてしまい、『痕跡本』道からすれば「高級」どころか「外道」だ。
むしろフツーの市井人の人生が、思いもかけず凝縮されていたり、ある一断面が見事に切り取られて見えたりするところにこそ、『痕跡本』のドキドキがあるのだ。そんな事例をいくつか紹介しよう。
「本を送るから気に入ったらカネを振りこめ」
数年前、古本屋で泥谷良次郎著『預言者 本間俊平』という書名が目についた。予言(未来を予知する)者とは、ノストラダムスみたいな人物のことを指す。それに対し、預言(神の言葉を代弁する)者というからにはインチキ宗教の開祖みたいな人か、どっちにしてもアブノーマルな人っぽいな、とワクワクしながら手に取ったら、本間俊平とは、内村鑑三と親しかった、つまり非常に高潔なキリスト教の伝道者であることが分かった。
後で調べたら著者の泥谷も鹿児島師範学校の校長を務めた立派な人物。ただ悲しいかな、人であっても本であっても、「立派なものよりヘンテコなものが好き」というワタクシとしては、そういう立派な人が書いた立派な人の伝記にはセンサーが働かない。こりゃ購入見送りかなと思いつつ、ふとページをめくると、この本の出版者である四方文吉が、知り合いのBさんに出した葉書が挟まれていた。葉書曰く・・・・、
四方とBさんの関係が分からないと正確な事はなんとも言えない。が、「いい本を出版したので御世話になっているあなたに寄贈します」なら分かるが、「本を送るから本代と送料あわせた58銭を振り込んでください。もし振り込まなかったら、泥谷さんの力作を面白くないと言っているのと同じことです」と言わんばかりの送付の仕方は、一般論としてはちょっと図々しい話である。
いきなりこんな手紙と一緒に本を送りつけられたBさん、さぞ気を悪くしただろうなぁと思いながら更にページをめくっていくと、ちょうど真ん中位に、振込先四方文吉、払込人Bさんの郵便振替の支払い証が挟んであった。しかし、なぜかその金額は、56銭であった。四方がわざわざ「50銭+8銭=58銭を振り込んでくれ」と言っているにも拘わらず、あえて56銭を払ったところに、Bさんの「君を応援してやらんでもないがちょっとやり口が強引すぎるんじゃないかね?」というささやかな抗議の念がにじみ出ているように感じられる。
このBさんのささやかなる心理的抗議に対し、四方がどう反応したのかは分からない(「2銭足りないぞこら!」という抗議の葉書でも挟まっていれば最高に面白かったのだが)。高潔な人間愛の人・本間俊平をたたえる本をめぐる攻防としては、どちらのやり口も些か人間愛に欠くかもしれない。だがかえってそれが、いかにも日常に起こりそうな、『サザエさん』の4コマにでも出てきそうなエピソードとなっていて微笑ましい。今から75年前の本に挟まっていた2枚の紙からこんな形で想像を逞しゅうできるのも、痕跡本の醍醐味なのだ。
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