「なぜか出世が早い人」がやっている3つの発言 「頑張れば認められる」は他人を信じすぎだ

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20代の新人は「2010年代を生きてきたエキスパート」なのだ。時代性に視点を置けば、若者は業界の重鎮よりも鋭い感性や感覚がある。時代の空気を肌で感じるリアリティーさがある。ルールが刻一刻と変わっていく時代において「経験値」というものは、唯一の武器にはなりえない。

あなたが20代で若いとするならば、SNSとスマホを自在に使う世代であるとするならば、会議で思い切って言ってみたらいいんだよ。「それはぼくらの(世代の)感覚からしたらカッコよくないですよ」と。

周りは抗えない。ここに理屈はいらない、感覚を信じていい。もちろん「今回は、若い世代は相手にしないからいいんだよ」となるかもしれないし、「じゃあ、若者にわかってもらうにはどうすればいいんだっけ?」という議論になるかもしれない。

誰もが違う人生を生きている以上、発言できない理由などない。もちろんお年寄りでも同じことが言えるし、例えば環境問題に興味がある人、ラグビーが三度の飯より好きな人、なんだっていいんだ。自分自身の人生から生まれ出てくる自分の言葉、本当の言葉には必ず意味がある。

昔の偉人の言葉を借りるならば、「あなたじゃない誰かは、そこにはいなかったんだ。何かを言える権利があるのは、その場にいることができた人たちだけです」 。

会社の中で発言力を持つ人がやっていること

モノの優劣ではなくて、それをどう名付けるか、どういう文脈に位置づけるかで選ばれる時代になってきている。

目の前に世界中で作られたボールペンを並べてみる。すると、ほとんどが「いいペン」だろう。そのとき、どこで差がつくかというと、例えば「このペンは、イタリアの職人が1本ずつ木を削るところから作っている」というファクトを伝えなくてはいけない。何で伝えるのか。そう、もちろん言葉だ。そのファクトが言葉で表現され、買い手に伝わることで、初めて2万円の価値が定義されるのである。

これは企業のマーケティングの話だけではない。個人にとっても同じ現象が起きている。つまり、個人もまた価値を生み出して、同時に価値を伝え続けていかなくてはいけないのだ。

例えば、会社組織においてもなんとなく出世が早い人というのはいる。同じ成果を出していても、なぜかその人だけが評価され、いい仕事をもらい、上司や組織からも評価されて出世も早くなる。こういう人は「価値を伝えるプロセス」をきちんと意識的にやっている可能性が高い。こういう書き方をするとまるでゴマスリがうまい人のように思えるかもしれない。そういう意味ではないのだ。

組織において上司が成果を出している人を全員細大漏らさず把握していれば、それだけでもいいのかもしれない。しかし、実際はそんなふうにはいかない。上司だって神ではない。組織の全員の能力・実績・プロジェクトにおける関与度・熱意・チームへの貢献など無数の変数の把握など、そもそもできるわけがない。

「一生懸命頑張っていれば誰かが見てくれている」

そう考えるのは美しいけど、ちょっと人間を信じすぎているのかもしれない。

また、企業や組織においては成果を出すことももちろん重要だが、もっと重要なのはその成果を出すプロセスを再生産することだったりする。つまり偶然に大成功することはありがたいのだが、それ以上に組織が求めているのはその成功を意識的に無理せず繰り返すための体制や仕組みを整えることなのだ。

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