ポストコロナ「日本は必死で学ぶ必要がある」 「均衡」の概念に基づき文明観は問い直される

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船橋洋一(ふなばし よういち)/1944年北京生まれ。東京大学教養学部卒業。1968年朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、2007年~2010年12月朝日新聞社主筆。現在は、現代日本が抱えるさまざまな問題をグローバルな文脈の中で分析し提言を続けるシンクタンクである財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブの理事長。現代史の現場を鳥瞰する視点で描く数々のノンフィクションをものしているジャーナリストでもある。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(2013年 文藝春秋)『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(2006年 朝日新聞社) など(写真:本人提供)

船橋:コロナウイルスというのはこれからも次から次へと発生してくるウイルス脅威の1つにすぎないのですかね。気候変動に伴う干ばつも洪水もハリケーンも台風も頻度や強度は増すばかりという、ああいうようなことになっていくのかどうか。こうなってくると、「完全解決」や「撲滅」という概念ではもはや対抗できない相手なのかもしれません。

ウィズコロナ(With Corona)ということはそういうことなのかもしれませんね。「緩和」と「適応」の組み合わせ、そしてレジリエンスの力に期待するしかないのではないか。そんなふうに見ること自体、進歩史観からすれば敗北宣言に等しいのかもしれませんが、それをベストシナリオと見るべきではないか。少なくとも、循環史観よりは、よほど上等で人間的なように思えますね。

循環史観だと結局のところ諦観になってしまう。エージェンシー(Agency)としての人間の意志とイニシアチブ、そしてリーダーシップの重要性はさほど重んじられない。それはまた決定論にも流れやすい。歴史はあらかじめ決められているのではなく、個人の創意工夫や社会のイノベーション、そしてリーダーシップによって、歴史はつくられていくものだと思います。

平和の体制の再構築

船橋:第2次大戦後、70年以上続いた「長い平和」は世界にとって僥倖でした。それ以前に、欧州はナポレオン戦争の戦後処理をしたウィーン会議の後、100年間の「長い平和」の時代を経験しています。それを可能にしたのは、先ほど細谷さんがより大きな文脈でお使いになった、この均衡という概念でした。それはいまでも変わらないと思います。

国際秩序もグローバル・ガバナンスも最後は大国間の持続的な勢力均衡なしには生まれないと思うからです。

しかし、19世紀の欧州の「長い平和」は、第1次世界大戦の勃発により失われました。それに関するヘンリー・キッシンジャー(アメリカの政治家・国際政治者。1923年生まれ。フォード共和党政権で国務長官を務めた)の分析は示唆的です。彼はこう言いました。「欧州の協調による長い平和を経る中で、列強は悲劇の感覚を失った。国々は死ぬこともありうるのだ。そして大変動が不可逆的な事態をもたらしえるんだということを忘れた」――。

コロナ危機によって戦後、70年以上続いた「長い平和」の時代は、終わりに近づいているのかもしれません。しかし、まだ終わったわけではない。

日本にとって、これほどありがたいものはなかった戦後の平和と秩序をもう1度、立て直すことがコロナ後の出発点となると思います。価値観や志を同じくする国々と、あるいは価値観は違うかもしれませんが中国のように国際社会に強い影響力を持つ国々とも折り合いながら、現実主義を踏まえ、実務的に世界の平和と安定を追求していくことが、ますます重要になってくるのだと思います。

同時に忘れてはならないことは、均衡という考え方です。国際政治における勢力均衡です。ただ、キッシンジャーも指摘したように「古典的な軍事的勢力均衡は、規範によって緩和され、パートナー関係によって協調的に管理される必要がある」と思います。

地政学と地経学の怖さを十分に認識するとともに、その中毒にかからないようにしなければいけない。国々がルールに基づき、多角的な、協調的な国際秩序をつくりあげる努力を持続的にしていく以外ないと思います。日本はそこで積極的安定力となり、ルール・シェイパー(ルール・メーキングの環境づくり役)となることを目指すべきだと思います。

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