国民に愛想をつかされた「アホノミクス」の末路 非常時にこそ露呈する「政策責任者の器」

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5月に入って、政府は、緊急事態宣言と外出自粛のさらに5月末までの延長を決めた。猛威を振るう新型コロナ肺炎を見れば、期間延長自体はやむをえまい。だが、非常事態宣言を出して経済活動を抑制するのであれば、それに伴って生じる経済的真空状態をどうするか、それに対する対処方針を考えておくのが当然だ。そうでなければ政策責任者の名に値しない。

「空白はわれわれ政府がしっかり埋めます。ですから、皆さんはどうか安心して営業を自粛してください。外出を控えてください」というような呼びかけがあれば、休業要請にも外出自粛要請にも、国民は不安ながらも納得して対応しただろう。ところが、要請ばかりが先行して、支援についてはおよそ場当たり的な対応ばかりが続く。さながら、もぐらたたきのごとしだ。しかも、下手くそで空振りの多いもぐらたたきである。

緊急事態を宣言するということは、政策もまた、あるいは政策こそが緊急対応モードにならなければいけないことを意味している。国民の行動をどう制約したり、誰に自粛を要請したりするのかをしっかり考えることは重要だ。だが、それと同時に政策が緊急事態にどう対応するのかを考えるのでなければ、政策責任を果たしているとは言えない。

緊急事態は、政策責任者たちに対しても宣言されている。彼らは、ひょっとするとこの点がわかっていないのではないか。緊急事態だからといって、政策や行政がやたらとしゃしゃり出てきたり、強権的になることは絶対に許してはならない。そういうことではなく、緊急事態下で本当に皆さんのお役に立てる動き方とは何なのかを徹底追求する。この姿勢が欲しい。

政府が助けるべきは誰か

政府や政策は、強い者を助ける必要はない。強い者たちは自助で結構。政策の役割は弱い者に手を差し伸べることにある。支えがなければ生きることがままならない人々の暮らしを守る。そこに公助の意義がある。

自助のすべを持たない人々こそ、公助に値する。この辺も、チームアホノミクスはわかっていない。ひょっとすると、彼らは自助力の強い人々こそ、公助に値すると考えているのかもしれない。とんでもない話だ。こういう誤解・曲解も、今のような危機的状況下における政策の有効性を大いに損なう。

どうやら「弱者救済」とか「世のため人のため」という文言は、チームアホノミクスの辞書にはないようだ。もしかすると、そもそも「弱者」という言葉自体がアホノミクス用語の中には含まれていないのかもしれない。

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