デンソー「QRコード」が世界に普及した奇跡

カイゼンの現場力とラグビー型プレーが結実

気の遠くなるような作業を経て、白セルと黒セルの幅の比率が1:1:3:1:1で構成される切り出しシンボルを完成。これを3つの隅に配したことで、安定した読み取りが可能となった。数字で約7000文字、漢字やカナもOK、誤り訂正機能がありデータ復元も可能というQRコードが誕生したのは1994年8月だった。

1:1:3:1:1の黄金比 (出所:デンソーウェーブ、『QRコードの奇跡』89頁)

新聞発表の1週間前に慌ててネーミング会議を開き、2案から多数決で決まったのがQRコード。QRとはクイック・レスポンスの略である。

その後デンソーは、国内のみならず、海外での地位を獲得することを目指す。自動車業界での標準化を推進し、それを軸にしながら日本からアメリカ、その他の「国際」標準化へと進めていった。とりわけ重要だったのが北米での活動だったという。

日本自動認識工業会で標準化が成立したのは1996年末、国際自動認識工業会における標準化が成立したのは1997年10月。そして2000年6月、ISO/IEC18004として発行された。日本企業が開発した技術が国際標準として認められた、数少ない事例である。

モノづくりの精神でつながったラグビー型組織

QRコードは、2002年に日本テレコムとシャープが携帯電話でQRコードを読むサービスを開始したことが、普及の後押しとなった。ANAが搭乗券に採用したのが2006年。2019年には都営地下鉄浅草線で駅ホームドアの仕組みに活用されるなど、利用シーンは広がっている。

バーコードとバーコードリーダーは、コンビニ業界ではレジでの入力作業を効率化しただけではなく、データマーケティングへの活用につながった。そして、1次元のバーコードの限界から生まれた2次元のQRコードは、オープンソース化によって、多くの企業や人々に広がった。

携帯電話のカメラによるQRコード読み取りは、その後スマートフォンにも引き継がれ、中国でのQRコードによるモバイル決済へとつながっていく。

QRコードの功労者はたくさんいる。それぞれの段階で、個性豊かな技術者が課題を解決しようとして、仕事にのめり込んでいった結果、実現したものだ。技術者だけではない。標準化への粘り強い取り組みと、それを支援する体制があったから現在がある。

それぞれの任務を果たした社員は、互いに連携を図りながら次のステップへとつないでいった。モノづくりの精神でつながった集団によるラグビープレー的な組織力が、QRコードを世界的地位へと押し上げたのだろう。

「かんばん」の電子化を推進し、NDコードやQRコード、読み取り機のリーダーを開発したのは、IT企業ではなく自動車部品の製造現場だったことは特筆すべきことだ。「革新の神は局所に宿る」というが、デンソーグループの取り組みはそれを証明している。

だからこそ、奇跡は起きたのだ。

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