「日本の部活動」が国際組織に本格調査される訳 「虐待リスク」は依然として改善していない
日本における、スポーツをやるうえでの主軸のようなものを、HRWは「勝利至上」から「人権優先」に転換しようとしている。
「これを世界基準として、これまで国内では注目されてこなかった側面からこの問題を客観視することが期待されます」(高峰さん)。
延期にはなったが、オリパラの自国開催は依然として目の前にある。国家イベント成功を目指すうえで、逆に問題が語りづらくなっている事実は否めない。高峰さんも同意する。
「そうした問題が見えづらくなっているように感じます。意識されなくなっている。だからこそ、HRWのアクションが日本のスポーツ界にとって外圧となることを期待している。ただ、各競技団体がこの報告書を敏感に取り上げるとは思えません。スポーツ庁と日本スポーツ協会が、この報告書にどのように向き合うかが重要になるのではないか」
さらにいえば、近代の日本社会は内部から根本的な改革を成功させた経験がない。
「鎖国から開国、戦後民主主義はいずれも外圧あってのことだし、60~70年代の安保闘争も結局は目標達成には至らなかった。そうした社会が変革するためには、外圧が必要な国なのかもしれません」
スポーツハラスメント被害者家族の思い
スポーツハラスメントの被害者家族である男性も、この「外圧」に期待を寄せるひとりだ。HRWから打診のあったインタビューを引き受ける。
「日本では、アスリートあるいは子ども達の人権について真剣に議論されることが少ない。スポーツが学校教育の一環として行われる場合には、問題の本質が覆い隠されてしまう。日本にある部活最優先な考え方や、部活熱がある以上、根本的なものは変わらない気がします」と話す。
この男性を含め、多くの被害者家族が、第三者委員会の設置等や裁判で教育委員会の隠蔽体質を指摘する。どんなに暴力や暴言があったことを訴えても、「行きすぎた指導」と言われてしまう。指導ではなく、暴力だ、虐待だと訴えても、“指導”の二文字は決して外されない。
「海外の実績と権威ある団体から目を向けていただくことは、大変意義深いこと。ぜひ教育委員会制度の深刻な弊害について、理解してもらえるとうれしい」(男性)
「オリンピック憲章」の支柱をなす「オリンピズムの根本原則」には、こう書かれている。
オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである――。
「人間の尊厳の保持」
2020は間に合いそうにない。「2021」がもし叶うのなら、ここを見直す。そして、出直す。それこそが、最も日本らしいオリパラのレガシーになるのではないか。
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