コロナに翻弄、JR北海道「札沼線」突然の幕切れ 緊急事態宣言発令で4月17日に廃止を繰り上げ

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JR北海道の発足に際して、札沼線の桑園―新十津川間もJR北海道に引き継がれたが、札幌周辺の都市化が進んで札沼線も札幌方の乗客が増え、国鉄末期から大学前(現在の北海道医療大学:1981年開業)、百合が原、あいの里教育大、新川、太平(4駅とも1986年開業)、八軒(1988年)の順に次々に新駅を開業させた。

また、札幌―桑園間は函館本線と線路を共用していたが、1994年に函館本線から単線で独立、1997年には太平―あいの里公園間が複線化され、2000年には八軒―太平間も複線化、2012年には桑園―北海道医療大学間が電化されるなど、大きく躍進した。桑園―太平間は高架になり、電化で車両はディーゼルカーから電車に変わったので、JR発足当時と現在ではまったく別の路線に変身している。

札幌方が大躍進を遂げた一方で、北海道医療大学―新十津川間は利用者が減り続け、JR北海道が公開している「輸送密度の推移」でも1975年の輸送密度(1km・1日あたりの平均人数)が582人に対して、2018年には62人に減少している。もともと国鉄末期の赤字ローカル線の整理にあたっては、輸送密度が4000人をバス転換の基準としていたが、札沼線は札幌方の利用者が多かったために、路線全体では基準を満たしていたので廃止を免れたということになるだろう。

筆者と札沼線の記憶

筆者は東京に住んでいるが、「乗り潰し」(JR全路線の完全乗車)と称して札沼線を利用して新十津川を3度訪れている。最初に新十津川まで行ったのは1992年頃。このときは函館本線の滝川から徒歩で1時間ほどかけて新十津川へ移動した。若気の至りである。

新十津川駅は北海道のローカル線らしい駅舎だった(2012年2月、筆者撮影)

途中で石狩川を渡るのだが、橋の長さが600m以上もあり、慣れぬ土地で異様な長さに感じた。さらに困ったのが入り組んだ場所にある新十津川の駅の場所がわからなくなったことだ。地元の人に場所を教えてもらったことを思い出す。

手元の写真を見ると、1996年と2012年にも新十津川に行っているのだが、1996年に行ったときはワンマン列車にもなっておらず、車掌と雑談をした覚えがある。このときに乗ったのはキハ53というディーゼルカー(気動車)で、前年の1995年に廃止された深名線からやってきたものだった。すでにボロボロで、ワンマン化に合わせて札沼線でも引退する直前だったのだが、このディーゼルカーの色が札沼線廃止後の代替バス、月形浦臼線の「かばと~る号」の色として使われている。

2012年に新十津川を訪ねたときは真冬で、休日だったこともあり、ワンマン運転の乗客は私ひとりだった区間もあって、強烈な孤独感を味わうことになった。新十津川からの帰りは乗り潰し目的のファンがいて、少し安心したものだ。

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