「村八分」日本人が意外と知らない本当の意味 感染症の恐怖からうまれた「言い伝え」とは
一定期間の忌み籠りが終わることを「忌明け(いみあけ)」といいますが、かつてはこれをヒアケと呼ぶ地域がありました。ヒアケは「火明け」と書きますが、これをもって近隣の人と喪家が同じ火を使って調理することが可能となるそうです。それまでは死穢のある家の火を他人の家の火と混ぜると死穢が伝染し、拡散していくと考えられたのでしょう。
このように一定期間を過ぎると、死者を不浄視するような物理的条件が取り除かれていきます。戦国時代では、家族の死後数週間は主人の館に出仕できず、その期間が過ぎると衣服を着替えて参上したとか、漁村では四十九日を過ぎると漁が解禁になるというところもあったようです。
また、四十九日餅といって、四十九日にお供えされるお餅もあります。これは喪家でついた餅で、これを隣近所に分けたり、寺や墓に持っていくことで喪家にかかっていた穢れは解かれるというもの。霊的な恐怖というより、目に見えない疫病から一定期間遠ざけるための方法として、先人たちが生み出した知恵なのかもしれません。
なぜ塩が「穢れ」を払うのか?
『古事記』にはイザナギノミコトが海で禊祓い(みそぎはらい)をした神話から、塩は民間信仰のひとつとして「清め」のシーンで多く使用されていました。
塩そのものに殺菌性や防腐性はありませんが、塩を使うことによる作用により殺菌・防腐の効果が認められることもあります。そのため、昔の人は葬儀を終えた後、疫病を遠ざけたいという意味で塩を身体に振りかけたり、塩を踏んだりしてから家に入っていたのかもしれません。
他にも米、味噌、大豆、魚、餅、団子などを食べることで「清め」とする地域もあります。また小豆も赤飯や煮豆、粥といったものに形を変え、葬送儀礼のシーンでは広く食されていました。これらを食することで残された人がしっかり力を蓄え、免疫をつけておきたいという願いが込められていたことも伺えます。
土葬の場合、埋葬するためには穴を掘る作業が必要となりますが、穴掘り役は多大な労力を費やすだけではなく死体に接することから、身体を守るためにさまざまな工夫がなされ、そこからしきたりが生まれました。
穴を掘る人は、精力をつけるため握り飯や豆腐などを持参したり、届けられたりもしたそうです。酒を持っていくところもあるのですが、これは消毒の意味もあるのかもしれません。また、必ず火を焚きながら掘るというところもあります。
なお、持参したり届けられた握り飯や酒は、残さず食するか、そのまま置いて帰ります。穴掘りに使用した道具も持ち帰らずに、そのまま墓地に一週間程度置きっぱなしにするそうですが、これも感染症対策と無関係とは言い切れないような気がします。
ちなみに現在でも、火葬場に持っていったものや、火葬場で購入したものを持って帰ってはいけないと言われているところもありますが、こういったしきたりの名残ではないでしょうか。
『民俗小事典 死と葬送』 編:新谷尚紀・関沢まゆみ(吉川弘文館)
『知れば恐ろしい日本人の風習』 著:千葉公慈(河出書房)
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