かつての鉄道「不要不急線」、戦後たどった運命 「コロナ禍」の75年ほど前にあった鉄道の休止
私鉄(路面電車を除く)の不要不急線は約60線区で、全体の距離は約270kmに及ぶ。国鉄の不要不急線は手続き上は休止扱いだったが、私鉄は休止のほか廃止の手続きが行われた路線もある。
このうち3分の1の20線区はケーブルカー。当時日本で運転されていたケーブルカーのほぼすべてが休廃止した。観光輸送に特化した路線が多く、不要不急扱いされやすかったといえる。このほか、東武鉄道の日光線の一部(栃木県)など、単線化された路線もある。
戦後、ケーブルカーの多くは復活。手続き上は廃止されたケーブルカーも新線扱いで復活しており、復活後に廃止になった路線も少ない。ケーブルカー以外の鉄道に比べて運賃単価が非常に高く、「不要不急」の4文字さえなければ採算を取りやすいという面もあったのだろう。
「コロナ禍」で運休路線が
逆にケーブルカー以外の鉄道は、復活しないまま消滅したものがほとんど。いまも営業しているのは、東武鉄道の越生線(埼玉県)など4線区にすぎない。もともと輸送量が少ない路線が多かったというだけでなく、国鉄と異なり採算性が特に重視される民間企業の運営だったこと、さらには戦後の道路の発達も相まって、復活させる意義が薄れていたこともあったと思われる。
新型コロナウイルスの感染拡大以降、JR各社の新幹線や在来線特急、臨時列車を中心に運休や減便が相次いでいる。観光輸送に特化した路線のなかには、嵯峨野観光鉄道(京都府)のトロッコ列車や皿倉登山鉄道(福岡県)のケーブルカーなど、路線自体が全面的に運休するケースも出始めた。
なお、不要不急線だった札沼線・石狩当別―新十津川間のうち、ほぼ全区間の北海道医療大学―新十津川間が今年2020年5月に廃止されるが、新型コロナウイルスの影響を受け、最終運転日は4月17日に前倒しされた。「お名残乗車」で不要不急の客が殺到して感染が拡大するのを防ぐためといえるが、「不要不急」の言葉が飛び交うなかで幕切れすることになるとは、何の因果だろうか。
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