かつての鉄道「不要不急線」、戦後たどった運命 「コロナ禍」の75年ほど前にあった鉄道の休止

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不要不急線とされた国鉄線(複線路線の単線化を除く)は次の通りだ。いずれも1943年から1944年にかけて休止している。

ローカル線ではない路線も休止

その多くは、自動車交通が発達していなかった当時でも輸送量が少なかったローカル線だ。しかし、東京都内を走っていた五日市線・立川―拝島間のように、当時は沿線が発展していなかったとはいえ、ローカル線とは言い難い路線も含まれている。

1930年代の立川―拝島間は、青梅電気鉄道(現在の青梅線)と五日市鉄道(現在の五日市線)が並行していたが、1944年4月に両線とも国有化。一つの事業者が二つの並行路線を運営するのは非効率的という判断があり、迂回(うかい)ルートで距離の長い五日市線を不要不急線として休止、運用の効率化を図ったのだろう。

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