坂之上:繰り越しもできるんですか。年度末に消化しなくちゃいけないっていう考えにならないので、それはいいですね。
片岡:その代わり、自分たちでできることはできるかぎり自分たちでやってくださいと。今までの日本の地方自治というのは、「施し」だったんですよね。行政がなんでもかんでも決めて、与えてしまうというやり方だったのです。
これからは地域の人ができることは地域でやってもらって、僕らはしない。その分、僕らの仕事が減る。そうすると国からいろいろ言われなくったって、職員の給与をカットできるし、職員数を減らすことができて、市役所をスリムにできる。
僕らは市民から税金をもらって、中抜きしてきたわけですよ。市民から税金を受け取って、その使い道を考えて、554人の職員の給料を払いながら、残ったおカネを市民にお返ししているわけです。市民にしてみれば、100払ったのに地元に還元されるのって15とか20じゃないかという話になるわけです。だから今、僕らが中抜きしないで市民にちゃんとリターンできる仕組みを作ろうとしているんです。
僕はね、地方がだまって口を開けたまま「施し」を待つんじゃなくて、自分たちで使い道を考えて、それを市民が実行していくというのを、勇気をもってやったら、やれないことはないというふうに思ってるのです。僕らみたいな人口6万8000人のスモールシティでこれができるようになれば世の中は変わるし、「市役所なんていらない」みたいな議論も現実味を帯びると思いますけどね。
「貧しければ救われる」そんな財政はおかしい
坂之上:でも片岡市長、どうしてそんな、前例のないようなことを。
片岡:確かに、こんな新しいことをやると、政治的にやばい立場になるかしれないし、失政だと言われるかもしれない。政治家というのは、じっとしていたほうが本当は楽なんですよ。動かずにいれば、失敗しないですしね。
でも、僕らみたいな田舎の長が立ち上がる用意をしなければ、これからの日本は絶対にアウトだと思うんですよ。これが、日本がアジアの中で強力なリーダーシップをとれなくなった理由なんだと思います。
民主党に政権を取られる前の、昔の自民党のキャッチフレーズは、北海道から沖縄まで、どの県も、どの市も、みんな同じように発展することでした。この考え方のおかげで、ある程度までは国の力がものすごく上がったし、平等だった。それはそれでよかったのです。けれど、ここまで社会インフラが整ったのに、そんなことを続けると、自治体間で競争しなくなって日本はダメになる。
日本は貧しければ貧しいほど救ってくれる国なんですよ。市町村の財政は、ざっくり言うと、自分たちで稼いでいる収入(市町村税や使用料、手数料など)の比率で決まるのです。国や県からもらう補助金の比率が増えて、自分の稼ぎの比率が30%以下になると、「過疎債」といって、ただ同然の補助金がいっぱいもらえる。だから地方の長(ちょう)たちは、自分の市の収入が減るとラッキーだと思ってしまう。
株式会社だったら、売り上げやキャッシュフローが少なくなったほうがうれしいという社長なんていないでしょう。ありえないですよね。だけど地方は自分で稼げないところほど、国の補助率が高い。
坂之上:そうなんですか。存じ上げませんでした。
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