東京にある「孤立集落」のあまりに厳しい現実 昨秋の台風で生活道路が崩落、復興作業続く

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生活道路の通行止めでまず困るのは生活物資などの運搬である。台風直後の10月17日、19日には自衛隊のヘリコプターが燃料、食料を計5回にわたって輸送した。9日後の21日になって、崩落現場に人ひとりが通れる仮設の歩道ができた。これで生活物資の運搬が徐々に可能となり、町は日原自治会の協力を得て送迎サービスを開始した。

奥多摩駅から崩落現場までを町が、仮設歩道を各自で渡り、崩落現場から日原地区までを自治会が車で送迎するというもので、平日は1日5便、休日は1日2便で実施された。

急峻な崖と川に挟まれた崩落現場には大型の重機が入れず、復旧作業はなかなかはかどらない。そうこうしているうちに日原に冬が訪れた。標高600mを超える日原の冬は寒さが厳しい。12~2月の最低気温は氷点下になる。そんな冬を人々はどう乗り切ったのか。関係者に話を聞いた。

消防職員が1カ月間は日原に寝泊まりして待機

「今年は例年に比べ雪は少なかったですね。一度20cm程積もったぐらいでした。冬場に欠かせない灯油は町の業者の方が隔週で運んでくれました。日常の食料品や生活用品は、中継点(崩落現場)まで10人乗りのワゴン車などで行き、仮設の歩道を渡って役場が手配してくれた送迎の車などで町に行って買ってくるという生活です。ありがたいことに2人の方が車を貸してくださり、その車も利用させていただきました」(日原保勝会の担当者)

なんとも不自由な生活を余儀なくされたわけだが、台風から5カ月たった3月中旬現在でも孤立状況は解消されていない。この間、体調を崩したりした人はいなかったのだろうか。

「台風から1カ月間は消防の職員の方が日原に寝泊まりしてくれました。その後も崩落現場に救急車が待機してくれています。今までに救急搬送は3回ありましたが、幸い大事には至っていません」(同)

子どもたちの通学はどうなっていたのか。

「小学生の子が2人いる世帯がありましたが、今は町にある小学校の近くに家を借りています。別の世帯の保育園に通っている園児は、お母さんが町の保育園に送迎しています。この子は4月から小学生です」(同)

孤立状態に置かれた日原の住人たちは、地域の人々、町役場、有志など、いろんな人々の助け合い、協力で寒い冬を乗り切ってきたのだ。

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