その時点でのフランス国内での感染者数は2900人、死者数は61人でした。
フランス人の困ったところは、誤解を恐れずに言えば、躾(しつけ)がなっていない点です。むしろ逆らうことが大好きで、彼らには規律を守る精神がありません。自由を愛し、つねにやや反抗的なパリジャンはなおさらです。
「私たちは戦争状態にある」と繰り返した
15日の朝、全国民が前日の発表にショックを受けながら朝を迎えました。それでも多くの人々はいつもとは違った制約の中(周囲の人から1メートル離れること、ペンを持参すること、アルコール液で手を洗うことなど)、投票に行きました。
この日は快晴で、屋内やレストランでの集まりを避けるよう命じられたパリジャンたちは公園やセーヌ河のほとりに集まり、リラックスしたり、友人や家族との時間を楽しんだりしました。驚くべきことに営業を続けていた屋外市場にも多くのパリジャンが訪れ、普段どおりに買い物に興じていました(周りの人たちと距離を保つことなく)。
それが問題だったのです。ほとんどのパリジャンと、フランス国民はパンデミックの危機、そしてウイルスに感染したりほかの人たちにうつしてしまうという可能性に、この時点でも気づいていませんでした。
そして暗黒の16日がやって来ました。マクロン大統領は演説の中で確か8回、「nous sommes en guerre(私たちは戦争状態にある)」という表現を繰り返しました。
フランス国民は突然、自分たちが隣国イタリアと同じ道をたどっていることを認識し始めました。信じられません! わずか数日前まではこの恐ろしい疫病に対して特段の恐怖も心配も抱いていなかったというのに。
マクロン大統領は「隔離」という明確な言葉を使うことなく、フランス国民は少なくとも15日間は自宅にいなければならないと言いました。言い訳の余地はなく、5つのケース(「テレワーク」ができない場合の職務上の理由、食料品の買い出し、健康上の理由、高齢者や子どもの世話といった家庭の事情、個人での運動や犬の散歩といった短時間の外出)を除いて外出は許されません。
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