私も執筆した『新しい地政学』(東洋経済新報社)は、コロナウイルスの猛威が世界を席巻する渦中に公刊された。それは象徴的な状況だったように感じる。
ネットワーク状になった現代世界の「地理」
コロナウイルスが日々広がっていく様子を観察するだけで、現代世界の興味深い「地理」感覚が見えてくる。
爆発的な感染者数の増加を経験している欧州のイタリアや、中東のイランを例にとってみよう。これらは近年の「一帯一路」の中で、中国に急接近していた国々だ。
これらの国々が、いわば各地域の「ノード」(「結び目」の意味で使われるIT用語)となり、中心点と太く結びついてウイルスを導き入れた。そして、それぞれの地域内の同心円状のウィルス拡散の核となった。中国出張から本国に戻ったイタリア人ビジネスマンが持ち込んだウイルスが、観光でイタリアに訪れていたフランス人に感染する、といった具合に、感染者が広がっている。
この現象において、「地理」は、疑いなく最重要要素の1つだ。ただし、複数の「ノード」が網の目状のネットワークのリンクと結びつきながら、世界的規模のネットワーク図を作り出している現代世界の「地理」のことだ。それが、21世紀の「地政学」が分析対象にする「地理」だ。
朝鮮半島は、中心点である中国に物理的に接合し、直近の「ノード」として爆発的な感染者を出した。秘密のベールに包まれた北朝鮮の内部では、コロナウイルスの浸透が体制変動にもつながりかねない深刻な問題となっている、とささやかれている。
言うまでもなく、日本も、この中心点と地理的に近接するノードに連なる。しかし、間に海を挟む島国として、中心点との「つかず離れず」の関係だ。日本の背後の太平洋島嶼国においてコロナウイルス感染者が出現していない間は、日本はほとんど「エンドノード」のように存在していた。
アメリカのトランプ大統領は、新型コロナウイルスを「中国ウイルス」と呼ぶ。中国政府の反発は強く、ウイルスは米軍が中国に持ち込んだ、などと言い始めた。その一方で、アメリカ以外の国々に対しては、人工呼吸器を贈るなど、大々的な支援を施し始めている。
中国やロシアのような権威主義体制の大国を、「シャープ・パワー」と呼ぶ言い方が定着してきている。これらの国々は、開放的な社会を維持する自由主義諸国の脆弱性を狙う。SNSを通じて自由主義諸国の選挙に影響を与えることを狙った介入を試みるのが典型例だ。
トランプ大統領のようなアメリカ人にとっては、この権威主義国家の「シャープ・パワー」のイメージは、「中国ウイルス」のイメージと、重なり合うところがあるのだろう。
自由主義世界は、「中国ウイルス」による危機に陥っている。もともとは自由主義的価値観で結びつき、人の移動の自由をイデオロギー的に捉える欧米諸国が、
今や相互に渡航を禁じ合っている。それどころか自国内においても、国民に外出禁止令・店舗閉鎖命令を出している。欧米諸国が受ける損失が途方もない規模になることは間違いがない。政治指導者が焦りを感じるのは当然だ。だが、だからといって、あたかも「ビリヤード・モデル」をなぞるように、「中国ウイルス」が欧米諸国に攻め込んできた結果がこの危機だ、と捉えることに、建設的な意味があるだろうか。
この危機の原因の一つは、欧米諸国の政治指導者が「新しい地政学」の発想で感染症の脅威を認識しなかったことにある。欧米諸国の人々は、中国との間の地理的距離を根拠にして、油断をしていた(もちろん東アジアの政治指導者も別の機会で今回の欧米諸国と同じような脆弱性を見せるかもしれない)。ウイルスが蔓延した後も、全面的な外出禁止令という形でしか地理的条件を扱っていない。しかし、現代世界では、もっと洗練された「新しい地政学」の見方が必要なのだ。
コロナ危機は、われわれに痛感させる。「新しい地政学」の時代では、地理的条件を十分に考慮しながら適切にネットワークを管理していく視点が、重要になる。現代世界では、地理的条件が依然として重要であることと、複雑なネットワークが張り巡らされていることとは、矛盾するどころか、相互に深く密接に結びついている。
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