コロナショックが招く「経済危機」最悪シナリオ

需要、供給、金融を揺さぶり悪循環に入るかも

下記図表に示した「経済危機へのリスクシナリオ」を考える上で、私は自身が体験したアジア通貨危機での出来事が記憶に甦っています。

1997年 7 月、タイから始まったアジア通貨危機の最中に、私は東京三菱銀行のシンガポール拠点に勤務していました。東南アジアのシンジケートローン、プロジェクトファイナンス、起債、M&Aアドバイザリーなどの投資銀行業務を担当し、週の半分はシンガポール、残りの半分は東南アジアへの出張という生活を送っていました。

タイから発火したアジア通貨危機は、その後、マレーシア、インドネシア、フィリピン、韓国などに飛び火し、タイ、インドネシア、韓国はIMF管理下に入るという厳しい展開となりました。日本も対岸の火事ではなく、アジア向け貸出債権が不良債権化し、政府が緊縮財政を取っていたタイミングとも重なり、翌年の1998年には金融危機が勃発しました。1998年10 月の長銀国有化、同年 12 月の日債銀国有化などは、まだ記憶に新しいのではないかと思います。

1998年にはジャカルタで暴動が勃発した

シンガポールでは、ロイターなどの金融ボードに示される対ドルレートが刻一刻と切り下がっていく状況を目の当たりにしたことを今でもよく覚えています。私はその頃、東京三菱銀行が主幹事アレンジャーとして組成した、インドネシア最大の製薬会社向けシンジケートローンを担当していました。その組成が完了し、ほっとしたところでアジア通貨危機に見舞われたのです。その後、その製薬会社も債務不履行に陥り、年末には大規模な債権者集会を開催したことも目に焼き付いている光景の1つです。インドネシアでは、秋口からジャカルタで暴動が起きるリスクが真剣に語られるようになり、実際に翌年の1998年には暴動が勃発し、独裁政権だったスハルト政権も崩壊していくことになります。

当時、日本ではあまり報道されなかった出来事としては、インドネシアがIMF支援を受ける直前に、同じイスラム教の産油国に支援を求めたということがあります。地政学的なパワーバランスが崩れることを怖れたアメリカから政府高官がジャカルタに入り、その後IMFからの支援が決まりました。

1997年12月には、親しくしていたインドネシア最大級の華僑系財閥グループの番頭から、「道昭、もうしばらくはインドネシアへの渡航は控えた方がいい。うちの華僑系経営人はもうみんなシンガポールへ逃避した。暴動時の脱出用にヘリコプターも何台か追加で購入したところだ」とアドバイスされました。その直後に空港に向かい、シンガポールへと戻った時、私の前のフライトであるジャカルタ発シンガポール行きのシンガポール航空子会社シルクエア便が墜落したとのニュースを知りました。この墜落は、当時ジャカルタの華僑ビジネスマンの間ではテロではないかと噂されました。

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