受験生の息子が突然不登校になった親の"後悔" 今だからわかる親の寄り添い方

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それまでの日々は息子にとって、本当につらい時間だったと思います。不登校になった時点で、息子はガマンにガマンを重ねた結果、心も身体も限界だったはずです。

親として、息子の話を聞いてあげる余裕を持ち、「学校は休んでもいいよ」と言ってあげることがなぜできなかったのか、今でも心から後悔しています。

親として息子を理解できていない時間があまりに長すぎたなって。

息子は高校に進学したものの、なかなか学校になじめず、夏休み明けから完全に行けなくなりました。

出席日数が留年ギリギリとなった段階で、私の判断で通信制高校へ転校させることにしました。通信制高校なら、行きたいときに行って、課題さえ出せばどうにかなると思ったからです。

私がここまで高校にこだわったのは、「息子の居場所をなくしてはいけない」と思ったからです。

当時は焦るばかりでまったく気づいていなかったんですが、中学卒業まで学校へ通わせたのも、なんとか高校を卒業させようとしたのも、すべて息子のためによかれと思ってやっているつもりでした。

でも、違うんです。結局のところ、親の私が安心したかっただけなんです。

事実、息子が中学を卒業し、高校に進学したことで安心したのは親だけ。親として、息子の気持ちにまったく寄り添えていなかったんです。

息子はその間、ずっと苦しい思いを抱え、自己肯定感はどんどん低くなっていきました。

親子の会話、筆談だけで

高校3年生の初めぐらいになると、息子は私たち両親を避けるようになりました。

私が用意した食事には一切手をつけませんし、息子と外出しようと休暇を取ると、家出までされてしまいました。

息子は「自分の味方は誰もいない」と思っていたようで、親と会話をすることができなくなりました。筆談だけで数カ月すごしたこともあります。

なぜ、ここまで息子を追いつめてしまったのか。なぜ、息子の気持ちに共感できなかったのか。後悔の気持ちは今も消えていません。

息子はその後、本人の希望でカウンセリングと心療内科の先生にお世話になりました。

「フリースクールネモ」の日常のようす(写真:不登校新聞)

先生方が他愛のない会話をしてくれたことがうれしかったのか、息子の心も徐々に落ち着き、安定していきました。

ちょうどその頃、「フリースクールネモ」を知り、通うことになりました。すると、息子が少しずつ変わっていくのがわかりました。

「ネモ」にはさまざまな年齢の子どもたちが通っています。その中で、息子が好きなアニメやゲームの話を自由にできる。誰かに頼られることがうれしい。いつ来ても、いつ帰ってもいいという安心な居場所。

そうした積み重ねがあって、息子は次第に元気を取り戻していきました。何より私がうれしかったのは、息子が少しずつ笑うようになったこと。

そして、息子のほうから少しずつ自分の話を私にしてくれるようになったんです。

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