台湾海峡と香港をめぐる「米中関係」と日本外交 中国からの圧力とアメリカの支援の「板挟み」
習近平政権の目玉政策として、国内ではグレーターベイエリア構想(広東・香港・マカオ大湾区構想)が持ち上がっている。
これは深圳を含む広東9都市、香港、マカオを連結させて技術革新と経済発展の起爆剤にしようという意欲的な構想である。2047年に1国2制度の終了を迎える香港は、このように大地域連携の中で埋没していくことが予想されている。2017年の第19回党大会では、中央政府の香港に対する「全面的な管理権」が初めて提起された。香港への圧力はすでに高まっていたのである。
香港では政治制度改革も後退した。香港基本法の規定により、行政長官は2007年以降直接選挙で選ばれると考えられていたが、中国人民代表大会常務委員会はこの解釈を否定し、直接選挙導入を先送りにした。立法会も同様であり、中央は全面直接選挙の導入を先送りにした。直接選挙を求める香港住民が立ち上がったのが、2014年の「雨傘革命」である。
「逃亡犯条例」に端を発した反対運動が拡大
今回は、香港政府が中国大陸への容疑者引き渡しを可能にする逃亡犯条例案を提出したことに端を発した反対運動が拡大し、2つの直接選挙が要求の中心に据えられた。同条例案は6月に棚上げされ、10月にもはや手遅れの状態になってからようやく撤回された。しかも、同月末に行われた中共第19期第4回中央委員会総会では、香港への「特別行政区における国家安全の法律制度と執行メカニズムを打ち立て、健全化する」ことが明記された。
このことは、香港基本法23条に基づき「国家安全条例」を成立させることを意味している。これが成立すれば、中国の国家安全を守る名目で、香港住民を逮捕することができるようになり、香港の自由は深刻な打撃を受ける。2003年にも立法化の動きがあったが、反対運動により同条例案は撤回がなされている。
今回は、反対運動による混乱状態を受けて、中国は本来なら1歩引くべきであると思われるが、逆に香港への統制を強化する選択をしている。このように、香港においては政府と市民の間で政治的コミュニケーションが全く成立していない。習近平政権と香港政府は、現在でも「暴乱を制止する」(止暴制乱)という泥沼の強硬策を採り続け、反対者側は絶望的な抵抗運動を続けている。
習近平政権は、台湾に対しても積極的である。馬英九政権(2008~2016年)の最末期である2015年11月には、指導者同士の会談もシンガポールで行われた。これは習近平が慎重な部下たちを押し切って実現にこぎ着けたとされる。馬英九政権期には、観光客を含めた人的交流や台湾の地方政府への特産品買い付けなどもなされ、中国政府の台湾社会への浸透は急速に深まったのである。
ところが、馬英九政権の性急な大陸傾斜政策は台湾社会の反発を生み、2016年1月の総統選挙では、民進党が政権を握った。習近平政権は、このような逆風にもかかわらず統一促進政策を強化した。昨年1月2日、習近平は台湾に対して「1国2制度の台湾版」を話し合うことを呼びかけ、台湾向けの「武力行使を決して放棄しない」とまで言い切った。蔡英文は習近平の呼びかけをきっぱり拒絶した。台湾は反発を強めて交流の制限や中国の浸透工作から防衛する法整備を行ったため、かえって中国は、今後長期にわたって対台湾工作の足がかりを失ってしまった。
習近平は、香港や台湾の社会変動には関心がなく、2021年の中国共産党創立100周年や、自らの3選がかかる2022年の中共第20回大会など、自分の権威を高めるためのカレンダーで頭がいっぱいなのかもしれない。このように、習近平政権は、香港や台湾での反発が強い状況にあるにもかかわらず、自分のやりたい政策を無理押しした結果、これまでにない反発を受け、冒頭の選挙結果につながったのだと言えよう。