対する行政は、いわゆる「割れ窓理論」に立って取り締まり、グラフィティを消すのですが、全部消したわけではなく、面白いものや人の迷惑にならない場所のものは残しました。今でもグラフィティが盛んなニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリンといった都市では、人々がグラフィティはあっていいし、むしろ街を生き生きさせると考えている。高速道路の橋脚や線路沿いの壁がコンクリートの灰色である必要はないのです。
──日本とはだいぶ違います。
そもそも、都市景観は誰が作るのか、という意識が欠落しています。また、体育祭でマスゲームをしたり、同じようなリクルートスーツを着たりと日本人は秩序が好き。管理する側の意識を内面化していて、グラフィティなんてないほうがいいという感じですね。
行政が描いていいと言えばOKだし、行政が依頼して描かせた絵がどんなにつまらなくても、「消せ」という話にはならない。前述の都市は民主的とされる国の大都市。どことは言いませんが、強権的な国でグラフィティははやりません。
議論が起こる前に撤去した小池知事
──日の出埠頭のバンクシーは都市景観を考えるチャンスでした。
あの絵の扱いについて、いろんな意見があったはずです。東京都には、「これだけを特別扱いするのはおかしい、消すべきだ」という声が多く寄せられたそうです。逆に、欧米のように迷惑にならない場所ならどんどん落書きすればいい、という意見もありうる。
ところが、そうした議論が起こる前に撤去してしまった。勘のいい小池知事は残したほうがいいと思ったのでしょう。判断自体は間違っていないと思いますが、独断でやってしまった。十数年消されなかったということは、たぶん地元の人が落書きを容認していたから。住民の支持を確認し、それを尊重する残し方があったのではないか。
消されるかもしれないけど、グラフィティはそこに置かれているのがいちばん幸せ。行政の判断で撤去、保存だと、景観に関する問題提起がなされない。一方で残ってよかったという思いもあり、複雑です。
(聞き手 筒井幹雄)
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