「第1段階の米中貿易合意」に透ける習近平の因縁 通商合意の調印式を1月15日に控える中で…
習近平は、このアイオワ州の州境を流れるミシシッピ川の畔の小さな田舎町にある一軒家を訪れると、集まった人々にこう語っている。
「ここに来ると家に戻った気分だ」
それもそのはずだ。習近平はこの家の子ども部屋にホームステイしていたのだから。
それは1985年のことだった。当時はまだ、河北省正定県の書記だった31歳の習近平は、同省のトウモロコシ視察団の随行幹部として渡米している。
そのときに、ミシシッピ川の畔にある人口2万2000人ほどのマスカティン(Muscatine)という小さな街の民家で過ごしている。
私がその家を訪ねたのは、習近平の再訪から2年後の2014年のことだった。住所を頼りにその家を見つけると、隣に住む老女が「ええ、確かにこの家よ」と教えてくれた。
「ほら、あそこに見える2階の角部屋。あそこが子ども部屋でね、そこに寝泊まりしていたのよ」
それは真っ白な大きな玄関ドアを中央に、左右に規則正しく窓が並ぶ、2階建ての赤い煉瓦の綺麗な家だった。国家主席が過ごした子ども部屋は、向かって左手2階の角部屋になる。
「2年前にもここに戻ってきて、それは大騒ぎだったわ」
アイオワ州は習近平にとってアメリカそのもの
その場で習近平は、こう語っている。
「皆さんは私が会った最初のアメリカ人であり、私にとってアメリカそのものだ」
ホームステイ当時の習青年について、当時のホストファミリーの1人、サラ・ランディ(Sarah Randy)は、私のインタビューにこう答えている。
「とても礼儀正しく、好奇心が強くて、なんにでも興味を示す青年だったわ! それに、明るくて、笑顔が多かったわ」
サラは、その数年前に友人と中国を旅行していた。それで中国がとても気に入ったという彼女は、ちょうど中国の農業視察団がアイオワにやってくるという噂を耳にした。
「マスカティンにお招きできないか、働きかけて実現したの」
それがトウモロコシ視察団の習近平青年だった。
「ここに来たのは4人。通訳と彼が子ども部屋に泊まって、あとの2人はほかの家に泊まったわ。行動はいつも4人一緒で、大小の農場を回って、ボートに乗ったり、こちらの家庭料理を食べたり、子どもたちと過ごしたり、映画を観にいったりしていたわ。私の家にも招いたわ、みんなでポットラックパーティーを開いてね……」
ポットラックパーティーとは、参加者が料理を持ち寄って開かれる食事会のことだ。
「地元のポークやビーフ、それにポテト料理が多かったわね。彼は、『こういうことは中国にはない』と言って、とても楽しんでいた。それに……」
そこでサラは、突如、私の耳を疑わせるようなことを言いだしたのだ。
「彼はこう言っていたわ。『マーク・トウェインの小説を読んで、それがとても気に入って、ミシシッピ川を一度は見てみたかった』ってね」
マーク・トウェイン? そう言ったか?
「ええ、そう言っていたわ」
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