人が社会問題を解決することに意味はあるのか 世界を変えていくかどうかは結局、主観だ
安部:面白い問いですね。僕は社会問題を解決していくことは人類の特長だと思っていて。
以前にサルの脳の研究をしていたのですが、めちゃくちゃ単純化すると、サルって基本的にバナナを食いたいっていうモチベーションしかないんですよ。
高橋:個体の生存戦略に最適化した行動しかとらないということですね。
安部:そうそう! サルは基本的には「バナナくれ〜」と暴れるだけで、自分で課題を設定することはないわけです。バナナ農園をつくろうという思考に至ることもない。
だけど、人間であれば自ら課題を設定して、群れに共有して、その課題に対して資源を集めて解決していくことができる。
バナナを安定して食べられる状態をつくるために、必要な資源を集めてバナナ農園をつくるのは人類ならではの行動ですよね。つまり、問題を設定して解決してきたから人類は進化してきたんです。
ちなみに、その一連のプロセスをサポートする仕組みをつくりたいと思って、いまリディラバの活動をしているんです。
高橋:なるほど。実は私もさっき言った、「社会問題を解決することに意味はあるのか?」という問いからスタートしたのですが、同じく解決していったほうがいいという解にたどり着いたんです。
問題解決は人間にとってポジティブな影響がある
安部:どういうプロセスでその解に至ったんですか?
高橋:まず問題というのは、未来はこうあるべきだけど、現在のままいくと未来においてそうはならないという時間軸の中に存在しています。
点で見ているとつねに問題がある状態であることに変わりないのですが、時間軸の中で線で捉えると、“問題を改善しているという状態”になるんです。
人間は大脳皮質が発展しているので、時間という概念があります。なので現在だけに影響を受けているわけではなくて、「未来はこうなる」ということからも影響を受けますよね。
そう考えると、問題を改善し続けている状態のほうが、人間にとってポジティブな影響があるんじゃないかと思うんです。
飢餓の問題が解決されないまま残っているよりは、飢餓の問題を解決して新たに肥満の問題を解決していくというほうが理想状態に向かっていくんじゃないかな、と。