2015年3月に金澤さんは最初の復職をする。従来のプレーイング・マネジャーではなく、プレーヤーとして、だ。
「退院後の体調と、抗がん剤の影響も未知数でした。当時4歳の長女と生まれたばかりの次女、そして妻との時間を大切にしたいという思いもあり、管理職は自発的に断念しました」
「ゆがんだプライド」があった
入院前の自分抜きミーティングの件も、彼の頭の隅でくすぶっていた。
だが、プレーヤーとしての約2年間の空白は大きく、2015年度はノルマ未達。2016年は肝臓へのがん転移が発覚。1カ月間の入院を強いられ、同年度もノルマ未達が続いた。
復職後は見えない3重苦にも苦しめられた。病気が理由とはいえ、自ら管理職を辞めたこと。今後は部下たちが自分の職位を抜いていくこと。人生初めての年下上司との仕事――。
どれも頭では理解できていたはずだが、いざ職場に戻ると、心情としてなかなか受け入れられなかった。心の整理をきちんとつけるのに、結局4年ほどかかりましたねと、金澤さんはいさぎよく明かした。
一方で、金澤さんは部署の全員が個人プレーに終始しているように感じた。企業からの求人依頼を受けてふさわしい人物を探し、採用につなげるのが基本的な仕事。そのために各自が業務上で得た成約へのノウハウが、チームに共有されていないと感じていた。
「そこで優秀な若手に私が取材して、成約までの秘訣をA4の部内報にまとめ、1~2カ月に1度、職場に配布するようにしました」(金澤さん)
2017年1月から部内報の作成が始まる。当時34歳の彼が、20代の後輩に仕事のやり方を取材するのは、かなり勇気のいる行動ではなかったのか。
「いいえ、このままだと(ノルマ未達続きで)卑屈なオジサンになるかもしれない。そっちの恐怖心のほうが強かったです。社歴のカセを外して若手から学び、裸一貫やり直すしかない。それに彼らのノウハウを共有できれば、部署全体の営業力の底上げになるとも思っていました」(金澤さん)
活躍している若手の多くは顧客企業のニーズを最優先し、採用難度の高い人材の獲得にも、リスク覚悟で挑んでいることが多かったという。
「若手の話を謙虚に聞くことで、私自身の『ゆがんだプライド』のブレイクスルー(現状打破)にも役立ちました」
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