がんになった37歳が営業で"MVP"を獲れた理由 「がんは天罰」とまで思った日からの"再起"

✎ 1〜 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 5 ✎ 最新
拡大
縮小

2015年3月に金澤さんは最初の復職をする。従来のプレーイング・マネジャーではなく、プレーヤーとして、だ。

「退院後の体調と、抗がん剤の影響も未知数でした。当時4歳の長女と生まれたばかりの次女、そして妻との時間を大切にしたいという思いもあり、管理職は自発的に断念しました」

「ゆがんだプライド」があった

入院前の自分抜きミーティングの件も、彼の頭の隅でくすぶっていた。

だが、プレーヤーとしての約2年間の空白は大きく、2015年度はノルマ未達。2016年は肝臓へのがん転移が発覚。1カ月間の入院を強いられ、同年度もノルマ未達が続いた。

2014年に羅漢した際の金澤さん(写真:金澤さん提供)

復職後は見えない3重苦にも苦しめられた。病気が理由とはいえ、自ら管理職を辞めたこと。今後は部下たちが自分の職位を抜いていくこと。人生初めての年下上司との仕事――。

どれも頭では理解できていたはずだが、いざ職場に戻ると、心情としてなかなか受け入れられなかった。心の整理をきちんとつけるのに、結局4年ほどかかりましたねと、金澤さんはいさぎよく明かした。

一方で、金澤さんは部署の全員が個人プレーに終始しているように感じた。企業からの求人依頼を受けてふさわしい人物を探し、採用につなげるのが基本的な仕事。そのために各自が業務上で得た成約へのノウハウが、チームに共有されていないと感じていた。

「そこで優秀な若手に私が取材して、成約までの秘訣をA4の部内報にまとめ、1~2カ月に1度、職場に配布するようにしました」(金澤さん)

2017年1月から部内報の作成が始まる。当時34歳の彼が、20代の後輩に仕事のやり方を取材するのは、かなり勇気のいる行動ではなかったのか。

「いいえ、このままだと(ノルマ未達続きで)卑屈なオジサンになるかもしれない。そっちの恐怖心のほうが強かったです。社歴のカセを外して若手から学び、裸一貫やり直すしかない。それに彼らのノウハウを共有できれば、部署全体の営業力の底上げになるとも思っていました」(金澤さん)

活躍している若手の多くは顧客企業のニーズを最優先し、採用難度の高い人材の獲得にも、リスク覚悟で挑んでいることが多かったという。

「若手の話を謙虚に聞くことで、私自身の『ゆがんだプライド』のブレイクスルー(現状打破)にも役立ちました」

次ページ「ゆがんだプライド」とは?
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT