子会社出向・再生で思い知った自分の力
プロジェクト営業の2年間の後、杉元は子会社再生を命じられた。役員との接触が多かったことなどもあり重責を担うことになったのである。「杉元しかない」という言葉と明確なミッションのおかげで、極めてポジティブに新しい目標に迎えた自分がいたという。
社命により現在の取り組みに突然終止符が打たれ、即座に新たな目標設定ができるほど、完全燃焼していた、やりきった感があったのだ。
また、このとき、杉元は将来の起業に際して、多様な経験をすることの大切さも冷静に意識したという。この再生のプロセスの場で、で杉元が学んだことは、自分は全く経営のことが理解できていないということだった。熱意さえあればどうにかなるという認識。再生プランには何を書けば良いのかも全くわかっていなかった。
しかし、杉元は常にギャップを認識することから始める。自分の未熟さを理解した杉元は、イトーキの経営企画に日参して徹底して学び、様々な努力の結果、ビジネスモデルの転換、収益の改善をなし得た。
杉元はこの子会社再生の2年間が人生で最も多くのことを学んだ時期だったと振り返る。
▼田久保の視点
「こうしたい」、「こうありたい」という目標値を決め、現在とのギャップを意識するというあたり前のように見えてなかなかできないことに愚直に取り組むことは非常に大切。常に冷静に自らの現状を見つめる、そこから逃げないということを習慣にしたいものだ。
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