トヨタ「ヨタハチ」が今も語られる名車の理由 「スポーツ800」は速くないが勝つ強さがあった
しかし、ひとつ加えておかなければならないレースがある。1965年、船橋サーキットでのスプリントレースで、浮谷東次郎のスポーツ800が生沢徹のS600 を抑えて勝ったのだ。
浮谷は序盤で競り合っていた生沢のスピンに巻き込まれて接触。ピットインしての作業を余儀なくされ16位にまで後退した。
僕は現場にいたが、そこからの浮谷の追い上げは神がかっていた。そして、最終的には2位を大きく引き離して独走優勝。日本のレース伝説の重要な1ページになっている。
昔から僕は「コンパクトで軽量で空力に優れた」クルマが好きだ。だから、いわゆるスーパーカーにはあまり惹かれたことがない。
とはいえ、いくらコンパクトで、軽量で、空力に優れていても、あまりに非力なのは嫌だ。心が躍らない。
もし、トヨタ・スポーツ800が、非力で情けない音の空冷フラットツインではなく、ある程度のパワーがあり、官能的な音を響かせる4気筒でも積んでいたら、僕は迷うことなく手を出していただろう。
もう少しパワーと刺激性があれば・・・
昔のアルピーヌA110 1300 Sとまでは行かなくても、もう少しパワーと刺激性があれば、スポーツ800の運命は大きく変わっていたはず。
僕は、トヨタ・スポーツ800の再来を期待している。1~1.3ℓくらいの軽量3気筒過給エンジンと6速ギアボックスで、重量は、できれば1000kgくらい。
最新の安全性を満たすには、ボディがある程度大きくなるのはやむを得ないが、ドライビングポジションとシートさえよければ、キャビンは少しタイト気味でもいい。
最近、トヨタ・ガズー・レーシングがスポーツ800のレストアを行ったが、久しぶりに見るその姿に、改めて強く惹かれた。と同時に、スポーツ800の現代版再来を願う気持ちが強くこみ上げてきたこともお伝えしておく。
(文:岡崎 宏司 / 自動車ジャーナリスト)
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