トヨタ「ヨタハチ」が今も語られる名車の理由 「スポーツ800」は速くないが勝つ強さがあった

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オープンボディ(着脱式トップ)としては、当時は技術的に難しかっただろうモノコック構造を採用。徹底して軽量化を求めた。その結果が580kgという重量だが、これは非力なスポーツ800には大きな支えになった。

ちなみに、同時代の軽量車としてすぐ思い出すのは、アルピーヌ A110、ロータス・エラン。前者は635kg、後者は638kg。共に4気筒エンジンを積んでの重量だからすごい。

空気抵抗係数も、当時としては圧倒的な0.35を実現していた。加えて、小さな前面投影面積のコンビネーションも強力なサポートになる。

45馬力で最高速155km/h

45psという非力なパワーで、155k m/h の最高速を引き出せた理由もここにある。

話しは、本筋からずれるが、当時僕が所属していた自動車クラブ「Team 8」の8人の創立メンバーはオートバイ仲間が中心。高校時代のほとんどをバイクに明け暮れていた仲間だ。

そんな仲間が大学に入ると一斉に4輪に乗り替え、ジムカーナやヒルクライムに参加し始めた。

Team 8のメンバーには速い奴が多く、ジムカーナやヒルクライムでは、数人のメンバーが常に上位に入っていたし、優勝も多かった。

そんなことで、Team8は「ジムカーナ荒らし」といった呼ばれ方もされたが、多くの勝利を勝ち取ったのはホンダ・S600だった。

ちなみに、Team8からは2人のトヨタ・ワークスドライバーが生まれた。もう1人にも声がかかったが、家業を引き継ぐため断念せざるを得なかった。

でも、8人のチームの3人にトヨタ・ワークスから声がかかったという事実はすごいことだ。

その3人の内2人がホンダ・S600 に、もう一人がミニクーパーSに乗っていたが、ジムカーナやヒルクライムで勝ちまくっていたのはS600 に乗る2人だった。

チームにはS600、ミニクーパーS、コルチナ・ロータス、フェアレディ、スカイラインGT、フルチューニング・べレットといった速いクルマが揃っていたが、トヨタ・スポーツ800を買おうという奴はいなかった。

ジムカーナやヒルクライムのイベントにも姿を見ることはほとんどなかった。なぜなら、瞬発力が勝ちに結びつくジムカーナやヒルクライムに、スポーツ800の出番はなかったということだ。

しかし、、、すでに触れたように、レース、とくに長距離レースとなると様相は一変した。

ハイトーンの金属的な排気音を響かせながら突っ走るS600は「勝って当然!」と誰にでも思わせたし、事実速かった。でも、いつの間にかトヨタ・スポーツ800が前に出て、勝利のチェッカーを受けていたのだ。

上記した僕の走り仲間だったトヨタのドライバーも、「ぜんぜん速くないんだけど、いつのまにか勝っちゃう、、そんな感じなんだよね!!」と言っていたことを思いだす。

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