「恐怖の大魔王」チンギス・ハンの戦わない戦略 "プロパガンダ"を徹底して使い倒した
軍事力で支配を拡大する遊牧民族
東はモンゴル高原から西は西北ユーラシア草原(キプチャク草原)にいたるまで、ユーラシア大陸には広大な乾燥地帯が広がっています。うっすらと草が生えているものの全体的には乾燥し、樹木があまり生えない地帯です。この広大な草原地帯で活躍したのは、匈奴(きょうど)や突厥(とっけつ)、ウイグル、タタール、モンゴルといった遊牧民族でした。
遊牧という生き方は半砂漠地帯で必要最小限の生産力で人間生活を営むもので、馬や羊といった家畜が生み出す富に頼った経済的には非常に不安定な社会です。そのため、ひとたび野火や旱害によって草原が消滅したり、大雪や寒波が到来したりして食料が得られなくなると、一族を食わせるために農耕民が定住する村を襲って食料を調達してくる必要が生じます。
遊牧民は狩りや牧畜、そして掠奪が生活の一部だったので、そのまま個々が優秀な戦士でした。子どもの頃から馬を乗りこなし正確に矢を射る戦士と、しょうがなく鍬から槍や矛に持ち替えた農民兵の対決だと初めから勝負になりません。遊牧民は軍事的には農耕民族に対して圧倒的に優位な立場に立っていました。
一方で富は農耕民族が住む地帯から乾燥地帯にもたらされます。この二者は歴史的に、対決しつつも相互に依存する関係を成り立たせました。
初めて遊牧民を国家として統合したのは、紀元前8世紀頃に黒海北岸の南ロシア草原一帯を本拠地にしたスキタイです。スキタイは遊牧民族スキタイ人を支配者にして、農村や都市を含んだ地域連合国家でした。遊牧民だけで構成されるのではなく、遊牧民が国家に必要な農業生産機能や交易機能、物産生産機能を支配することで成り立つ遊牧国家の基本形をスキタイは作ったのでした。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら