「恐怖の大魔王」チンギス・ハンの戦わない戦略 "プロパガンダ"を徹底して使い倒した
ところ変わって、草原地帯の東方であるモンゴル高原で初めて成立した遊牧国家は匈奴です。匈奴が出現したのは、中国で秦の始皇帝が6国を制圧して初めて統一国家を作った時代。急速に軍事化する遊牧民族の脅威に対抗し、始皇帝は将軍の蒙恬(もうてん)を主将とする軍を草原地帯に派遣し匈奴を追いました。蒙恬は陰山山脈沿いに遊牧民族の中原への侵入を防ぐ長城を築いて帰還します。これがいわゆる「万里の長城」です。
その後、秦が滅びて漢の時代になり、冒頓単于(ぼくとつ・ぜんう)の下で匈奴は統一して強大化。漢と匈奴の戦争の結果、漢は匈奴に貢物を毎年納めることで和平を得ることになります。漢は匈奴の属国となったわけです。漢は匈奴の軍事力に頼り、匈奴は漢の経済力に頼るという体制が確立し、これは漢が滅び匈奴が分裂するまで続きます。
これはまさに、スキタイが作った「遊牧民の軍事力と農耕民の経済力が相互に依存する」という体制にほかなりません。
匈奴が分裂した後、モンゴル高原は鮮卑(せんぴ) 、柔然(じゅうぜん)、突厥といた遊牧民族が支配します。
その中で台頭していったのがテュルク系遊牧民族で、10世紀にアフガニスタンから北インドを押さえるガズナ朝を成立させ、カラ・ハン朝は西トルキスタンを支配下に収め、11世紀以降にはさらに西進して西アジアの中心都市バクダードを制圧。セルジューク朝を成立させました。遊牧民族の世界は中央アジアから西アジア世界まで広がっていったのです。
そんな中でユーラシア乾燥地帯の大統合を果たしたのがモンゴルでした。
遊牧世界を統合した「恐怖の大魔王」チンギス・ハン
13世紀の初めに東方草原に突如出現したモンゴルは、わずかな時間で東はサハリンから西はドナウ河口までを支配下に収め、ユーラシア大陸の政治・経済の大部分を手に入れました。これまで遊牧民族が駆け抜けた地帯をたどる形で、モンゴルは各地の既存の支配者・既得権益者を容赦なく滅ぼし、その上にユーラシア大陸全体がつながる巨大な経済圏を築き上げたのです。「パクス・モンゴリカ(モンゴルによる平和)」の時代の到来です。
モンゴル軍が破竹の勢いでユーラシア大陸を席巻できた理由は、もちろんモンゴル軍が強かったためです。騎馬を用いた機動力の高さ、最新テクノロジー兵器の導入、個々の兵の質の高さ、そして勝ち負けにこだわる遊牧民の気質にあります。
遊牧民は戦い方に恥という概念を持ちませんでした。前進して勝とうが退却して勝とうが不意打ちをして勝とうが勝ちは勝ち。逆に敗北することは恥となります。負けたが立派に戦った、という考えはありません。勝たねば意味がないわけです。
さらにもう1つモンゴル軍の強さの秘密が、徹底した情報戦にありました。モンゴル軍は次に攻略する都市に侵攻する前に、事前に使者を派遣し、いかにチンギス・ハンとその配下の兵たちが人間離れした連中かを宣伝させました。
「1人のモンゴル兵が大勢の住民がいる街に入り、街の住民を殺していくが誰も手出しができなかった!」
このような荒唐無稽な話を語らせることで降伏を求めるのです。そして素直に降伏した者は公正に扱うが、それでもなお抵抗した者は徹底的に殺戮します。大部分の者は殺し、すべての富を奪った後、一部の者は次の都市に送り出し、いかにモンゴル兵が恐ろしいか語らせるのです。
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