もはや日本が「消費増税」から逃げられない理由 「普通に働く」中流階級こそ社会保障が必要だ
日本よりも税の負担がはるかに大きく、生活保障が進んでいる北欧諸国を見てみよう。彼らのほうが経済は成長し、しかも所得格差が小さい国を作っている。国連の幸福度ランキングを見れば、北欧の平均が3位であるのに対し、日本は58位という状況だ。
北欧だけではない。公的な負担の大きなヨーロッパの主要先進国の多くは、労働生産性も経済成長率も日本より高い。命や暮らしの不安は人間を萎縮させる。少なくとも経験的には、保障こそ競争の前提だと考えるべきだ。
それだけではない。ベーシックサービスには、重要な効果がある。それは「助けてもらう」領域を最小にすることだ。すべての人たちの医療や介護、教育の負担を軽くできれば、その分、生活保護の中の医療扶助、介護扶助、教育扶助は縮小していくこととなる。
お金による救済は人間の心に屈辱を刻みこむ。反対に、すべての人たちが生まれたときの運・不運とは無関係に、病院や学校、福祉施設に堂々と通えるようにしていけば、暮らしだけではなく、尊厳も保障される。中高所得層もまた、彼らを妬むことを止めるだろう。自分も同じように受益者となるのだから。
弱者を助ける時代は終わる
弱者を助ける時代は終わる。弱者を生まない時代へと未来は姿を変える。だがもちろん、不幸にして働くことのできない人たちは残される。だから、多数者の将来不安を解消するのと同時に、高齢者、障がい者、1人親家庭といった「働こうにも働けない人たち」の命を徹底的に保障しなければならない。
最低限の保障と言いつつ、現実には生活扶助や住宅扶助は切り下げられてきた。安易な切り下げを食い止め、難解な保護の説明冊子の中身などの見直しなど、権利を行使しやすくすべきだ。また、どの先進国でも制度化されている住宅手当が日本にはない。その創設も望まれる。
よりよい就労の機会を求める失業者へのアシストも必要だ。日本では失業が絶望と直結する。より高い技能を習得し、労働市場に戻るための職業教育・訓練は欠かすことができない。
ベーシックサービスを通じて、将来不安が緩和されれば、社会的弱者への寛容さを取り戻す道が拓ける。さらに、働く能力や意欲があるにもかかわらず、その機会を失った人たちの再チャレンジも可能になる。「生存」と「生活」のニーズを保障し合う「ライフ・セキュリティ」は、経済も含めた社会を活性化させるための起爆剤となるだろう。
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