19世紀「機械は思考できるか」問うた1人の女性 コンピュータは文系と理系の交差点で誕生

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だが、数学の魅力はそれよりもっと深く、形而上的でさえあった。数学こそ、「自然界の偉大なる真実を的確に表すことのできる唯一の言語」であるとエイダは言い、森羅万象の中に表れでる「相互関係の変化」を数学によって描きだせるとした。数学は「愚かなる人間が創造主のいとなみを確実に読み取ることのできる手段」だというのである。

想像力を科学に応用するこの能力は、産業革命の特徴であり、後世エイダが守護聖人のようにあがめられるようになるコンピュータ革命の特徴でもある。エイダは1841年の随想で想像力についてこう書いている。

「それは組み合わせの能力だ。ものやこと、思想、概念をひとつにまとめ、変わりつづける独創的な組み合わせをはてしなく作りだす。それが、私たちの身のまわりの未知なる世界、科学の世界の本質を見抜くということなのだ」

エイダが強くひかれていたのは、作家、詩人、資本家、俳優、そして科学者が集うサロンだった。主宰は科学・数学界の名士であるチャールズ・バベッジ。1834年、彼が新たに得た着想は、プログラミングで与えた命令に従ってさまざまな演算を実行できる多目的計算機というものだ。

ひとつの処理を実行したら、切り替えて別の処理を実行する。それだけでなく中間の計算結果にもとづいて「処理のパターン」を変えることもできる。バベッジはこの機械を「解析機関」と呼んでいた。

織機からプログラミングの可能性が生まれた

解析機関は、エイダ・ラブレスが「組み合わせの能力」と呼んだものの産物であり、バベッジは複数分野のイノベーションを組み合わせた。彼が目を付けたのは、フランスのジョゼフ=マリー・ジャカールが1801年に発明した自動織機。

絹織物産業を大きく変えたこの自動織機は、縦糸を選んでフックで持ち上げ、ロッドで押してその下に横糸を通す、そのくり返しでパターンを作りだす。ジャカールは穴を開けたカードでこの工程をコントロールしていた。ひと織りごとに、動かすフックとロッドをカードの穴で決める。シャトルが抜けて一回分の糸が通るたび、新しいパンチカードを使うのだ。

1836年6月30日、バベッジは「ドラムのかわりにジャカード織機を提案」と、その日の記録を書きとめている。コンピュータ前史における大きな節目となる日だ。金属製ドラムのかわりにパンチカードを使えば入力できる命令の数をいくらでも増やせる。しかも、処理の流れを変えられるので、プログラミング可能で広く応用できる多目的機械を容易に作れるようになる。

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