日産「キューブ」が誕生20年で生産を終える事情 大ヒット車種が行方を見失った背景とは

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日産は、1999年のカルロス・ゴーン氏のCOO就任後、経営再建「日産リバイバルプラン(NRP)」を発表。「日産180」「日産バリューアップ」と中期計画を推し進め、2008年の「日産G(グレイト)C(チャレンジ)2012」の遂行中に起きたリーマンショックを乗り越えると、2011年に次の中期計画である「日産パワー88」で、大幅な事業拡大に乗り出す。そこでは成熟市場より、新興国市場への増強を行うことが盛り込まれていた。

3代目キューブの車内(写真:日産自動車)

この日産パワー88と前後して、EVのリーフが発売され、ゼロエミッションのリーダーとなることも宣言した。しかしながら、リーフの販売は日産が想定したより低かったのだろう。外部から見れば十分に善戦していたと考えられるが、思ったほど販売が伸びない状況が、キューブを含めた国内の新車開発に歯止めをかけたといえる。

一方で、2011年には拡大する軽自動車市場へ向けて、三菱自動車との合弁会社であるNMKVを設立し、日産自らが初めて開発に関わる軽自動車の誕生へ力を注ぐ。国内市場における「選択と集中」が行われたようだ。

キューブe-POWERが生まれていたら…

「もし」が許されるなら、キューブのEVが2012~2013年ごろに生まれていれば、人気を得たのではないだろうか。しかしそのころ、一充電での走行距離を延ばすことに日産は必死であった。電動部分が日々進化する中、他の車種へEVを展開する時期を失ったのかもしれない。

日産のバン「eNV200」(写真:日産自動車)

2014年には、バンのeNV200が発売されるが、リーフに近いキューブより、ミニバンとして使える車種が選択された。そうした流れの中で、キューブの行方は次第に失われていったと考えられる。

モーター駆動ハイブリッドのe-POWERが、ノートでもセレナでも人気を博し、運転支援のプロパイロットも搭載車種を広げる中、キューブのような5ナンバーのハイトワゴンが電動化され、自動運転技術を加えて現れたら、飛びつく人はいたはずだ。

一時、途絶えたとしても、新しいキューブがEVやe-POWERをまとい、家屋への給電システム「V2H」も備えた災害に強い姿で再登場したら、時代はそれを歓迎するのではないだろうか。

御堀 直嗣 モータージャーナリスト

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みほり なおつぐ / Naotsugu Mihori

1955年、東京都生まれ。玉川大学工学部卒業。大学卒業後はレースでも活躍し、その後フリーのモータージャーナリストに。現在、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務める。日本EVクラブ副代表としてEVや環境・エネルギー分野に詳しい。趣味は、読書と、週1回の乗馬。

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