BMW乗りが「MINI」を一度に2台も買ったワケ 知れば知るほど欲しくなるMINIの「魔力」
こうした流れの中で、日本でもミニは一気にブレーク。とくに1275ccのエンジンを積んだクーパーSは、多くのクルマ好きのアイドルになった。
僕ももちろん好きだったし、ほしかった。でも、ずっと憧れていたMGAをやっと手に入れ、次はMGBへステップアップを狙う、、そんなタイミングと重なったので、それほど心を痛めることなくあきらめることができた。
ところが、兄が「買う!」と言い出した。しかも、ポルシェ356Cを手放して……。
浮気性を認める僕もこれには驚いたし反対もした。でも、「どうしても買う!」と。
ま、今でこそ、「356Cを手放してまでどうして!?」ということになるが、当時は「3年乗ったからいいよ……」みたいな感じはあったのかもしれない。
ヤンチャだったクーパーS
兄がオーダーした1275 クーパーS はルーフが白、ボディが赤の2トーン。モンテカルロの王者が纏ったカラーリング。当然だろう。
……クーパーSはヤンチャだった! それもハンパじゃない。FWDと10インチ・タイヤ、そしてハイパワーのコンビネーションを考えれば当然のことと納得はできるが……。
発進で下手にアクセルを踏み込むと、前輪は簡単に悲鳴をあげ、空転し、暴れる。
コーナーでも下手に踏めば強烈なアンダーに見舞われ、そこでうかつにアクセルを戻すとリア内輪が浮き上がる。サーキット・レベルの激しい攻めになると転倒もある。
1965年にスタートした船橋サーキットはタイトでトリッキーなコースレイアウトだったが、ここではクーパーSの3輪走行がよく見られたし、転倒も見られた。
スリリングではあったが、上手く操れば速く走れる。運転しがいのあるクルマだった。
僕はクーパーS以前に、スバル360やホンダ N360での3輪走行経験がけっこうあったので、「ケンケン走り?」の勘どころは掴んでいた。
その頃のわが家はクルマ好きの集合場所的になっていて、連日連夜、兄や僕の走り仲間が集まっていた。その中に兄を含めて3人の1275クーパーS・オーナーがいた。
3人とも発売直後に買った人たち。内2人、つまり兄以外はレースに出て、一人は船橋で派手な転倒劇を演じた。そんなこともあって、しばらく、わが家はクーパーSの話しで盛り上がりっぱなしだった。
初代(BMCミニ)は2000年まで生産されたが、日本ではモデル晩年まで、人気が大きく落ちることはなく、主要市場であり続けた。
初代のモチーフをしっかり受け継ぎながら、BMWグループの「プレミアム・スモール」として生まれ変わった2代目(BMWミニ)も魅力たっぷり。見事な変身だった。
「プレミアム」化への強い意識は、クルマ造りだけでなく、市場とのコミュニケーション手法にもはっきり示された。