日本経済はどんな病気にかかっているのか 政府の成長戦略は「やった振り」で終わる?

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ここで1人当たり1%程度の成長というと、「以前のような状態に戻る」と考えている人たちはバカにするのだろうが、ピケティも強調しているように、世代が入れ代わるのに要する30 年ほどの間に、1%で伸びると複利で計算すれば35%ぐらい増える。1.5%だと50%以上増える。

生活実感として、明らかに30 年前よりも生活は便利になり、質も随分と上がっている。30 年前にはスマートフォンはもちろん、携帯電話やカーナビなどもほとんど普及していなかった。もちろん、テレビはデジタルではなかったし、SuicaもETCもなく、ウォシュレットも1992年ごろには普及率20%くらいだったようである。

民間消費が飽和した成熟社会

ポール・クルーグマン(米ニューヨーク市立大学大学院センター教授)という、リフレ政策をせっせとやって日本の経済にカツを入れろと言ってきた人も、ある頃から日本の人口が減っていることを視野に入れはじめて、彼が書いた2015 年の文章には、「日本の生産年齢人口1 人当たりの生産高は、2000 年ごろからアメリカよりも速く成長しており、過去25 年を見てもアメリカとほとんど同じである(日本はヨーロッパよりもよかった)」と、今では日本経済を評価してくれている。

私がよく言うのが、ビックカメラやヨドバシカメラの最上階から地下まで、各フロアを回ってみて、「どうしても月賦で買いたいというものはありますか?」と問うと、高度経済成長期を経験したことがある今の大人たちはみんな、「う〜ん、ないなぁ。月賦かぁ、懐かしい言葉だ」と言う。

そうした、多くの人たちの購買意欲がとても弱い社会、いや、適切な表現をすれば、ある程度、民間での消費が飽和している社会が、高度経済成長期のようなパフォーマンスを上げることができるとは思えない。

一方、アメリカでは、グーグル(Google)、アップル(Apple)、フェースブック(Facebook)、アマゾン(Amazon)の頭文字をとったGAFAなどが注目されるのであるが、1人当たり実質GDPの推移を見れば、どうも、GAFAの元気のよさは、アメリカ国民全般の生活水準の上昇にはつながっていないようである。

いわば、GAFAというプラットフォームは、一種の搾取システムとして機能しているともいえ、彼の国では、「富める者が富めば、やがて貧しい者にも富が滴り落ちる」という「トリクルダウン理論」――理論というには歴史上一度も実現していない理論――は実現していないのであろう。

だからこそ、映画『華氏119』に登場する、不満と怒りに満ちたアメリカ人が大勢いて、この映画で描かれているように、社会は分断され、民主主義が極度におかしくなっているのだろうというのが映画への感想であった。

先に福澤諭吉が学者の視野は政治家よりも長いと論じたことを紹介した。その観点を貫き、次に実質個人消費支出の長期トレンドを見ながら、今年1月19日に『読売新聞』のインタビューで話したことを紹介しておこう。

GDPの実質個人消費は、2014年の消費増税で一時的に落ちたものの、前後をならせば伸び続けてきた。減少している生産年齢人口を考慮して、その1人当たりで見れば、日本経済は過去も今もそんなに病んでいない。

1997年4月の消費税増税後も、駆け込み消費の前後と1997年7月以降のアジア金融危機前後をならせば、順調に伸びている。そして、リーマンショックの後には消費を政策的に喚起したため、消費支出は過去のトレンドよりも急角度で増加した。そこに2014年4月の消費税増税があったのであるが、2009年の後に急角度で個人消費が伸びた時期が特殊であって、長い目で見れば、順調に消費支出は伸びてきた。

この国は消費税の増税で、カタストロフィックな経済の崩壊など、経験したことはなかったのではないだろうか。そして、日本経済は、今を生きる大人たちの多くが信じているほど、過去も今もそんなに病んではいない。

しばしば、財政の健全化を図ることは、景気回復の芽を摘む摘芽型財政政策と呼ばれたり、増税によって「ドカ貧」になればもともこもないと言われたりすることがあるが、日本の歴史はそうした事実を記録していない。デフレ下では成長は起こらないという命題についても、日本の経験をはじめ、世界の歴史がさほど強いエビデンスを持っているわけでもない。

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