しかし、「光」がなくても発芽はしますが、光合成ができないため、その後、成長しません。モヤシみたいにヒョロヒョロの植物になります。しかし、「光」が当たることで光合成が始まり、ぐんぐん伸びていきます。そして、もともと種に“仕組まれた”DNAという設計図どおりに花を咲かせていきます。
これを子どもに置き換えると、次のようになります。
子どもの才能(種)は皆違います。似ているようでいて異なっています。兄弟姉妹でも異なっています。“仕組まれた”DNAが異なるからです。しかし、その才能が“発芽”するには次の3つの条件が必要です。
食べ物や水といった生きていくうえで必要な栄養は必要になります。適切な食事を取ることは当然必要でしょう。
植物は空気(酸素)がないと発芽しませんが、人間の場合ももちろん空気は必要ですが、才能の“発芽”という意味では、家庭内の安定した雰囲気がそれに当たります。家庭内が不和であったり、けんかばかりで安定感や安心感のある雰囲気を感じられないとしたら、才能の“発芽”は難しいことでしょう。
子どもに対して愛情のない親はほとんどいないとは思います。しかし愛情と一口に言っても温度差があります。植物の場合、温度が高すぎても、低すぎても発芽は一般的にしないものです。適度な温度が必要と言われています。ということは、愛情も強すぎる愛情や、薄すぎる愛情では才能の芽は出ないということになります。適度な愛情が理想的と考えることができます。
さて、このように3つの条件によって子どもの才能の“発芽”がされたとしましょう。それは子どもが夢中になっている状態、食事をすることも忘れて没頭している状態にあるときに、まさにこの“発芽”した状態と考えていいでしょう。
自分らしい「花」を咲かせてあげるには
ただし、この“芽”は勉強(英数国理社)の才能とは限らないのです。ここで親御さん側に大きな勘違いが始まることがあります。
どうしても、子どもは勉強ができるかできないかで評価をされてしまうことが多いため、勉強ができないのは、「親である私の責任」と考えてしまい、最初に出ている才能の芽である“双葉”が勉強分野と異なっていることを忘れ、別の芽を出そうと“種”をいじってしまうということがあるのです。
発芽した種は双葉になり、その後「光」の力によって“自ら”光合成を行い、枝葉をぐんぐん伸ばしていくのです。そして種に内蔵されたDNAに従って自分らしい「花」を咲かせていくのです。ですから、子どもも発芽したらその後、親は「光」を当て続けさえすればいいのです。
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