「中小企業を守る」目先の利益が日本を滅ぼす 「災害、人口減少、社会保障」大局的な政策を

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ちなみに、エセックス大学はイギリス国内の大学ランキングで29位です。有名大学の研究ではないと指摘しているわけではありません。日本国内の大学ランキングで二十数位の大学で実施され、国内で学問的コンセンサスも取れていないマイナーな研究を取り上げて、「これが日本の最新研究です」と外国人に触れ回るのと同じくらい、問題のある主張だと申し上げたいのです。

論文の「主旨」をしっかり読むべき

もう1つ指摘された論文は、カリフォルニア大学アーバイン校のデービッド・ニューマーク教授の論文(David Neumark, December 2018, "Employment effects of minimum wages")です。

こちらも原文でしっかり読めば、ニューマーク教授の論点が、「最低賃金の引き上げが貧困対策になるか否か」だということがわかります。興味深い内容ではありますが、私がこれまで申し上げてきた論点は単なる貧困対策ではなく、最低賃金を引き上げることで生産性を向上させるのが急務だという論点ですので、この論文はあまり参考になりません。

ポイントがズレているということで言えば、アメリカのエコノミストの74%が最低賃金の引き上げに反対している事実を私が意図的に無視しているのではないかという指摘もありました。

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これも論文(Employment Policies Institute, March 2019, "Survey of US Economists on a $15 Federal Minimum Wage")を読めばすぐわかりますが、74%のエコノミストが反対しているのは、最低賃金を15ドルにまで引き上げることについてです。エコノミストの66%は最低賃金の最適なレベルは10ドルと考えているとあります(いまは7.25ドル)。つまり、この調査は引き上げの是非についてのものではなく、「引き上げ幅」の問題なのです。

また、84%のアナリストが、15ドルまで引き上げれば「若い労働者」に悪影響を及ぼすと答えています。日本で反対派の方たちがよく言う「最低賃金を上げたら全体の失業者が増える」うんぬんという話ではないのです。

もっと言ってしまうと、アメリカと日本では「最低賃金」というものの現実が大きくかけ離れているので、単純比較することは難しいのです。

アメリカでは、最低賃金で働く労働者の割合が日本と比較して圧倒的に少ないのです。「最低賃金で働くスキルのない労働者」もアメリカの場合、文字の読み書きができない、学校に通っていないなど、日本の最低賃金労働者と同列に語れるような人々ではありません。

例えば国際学力調査(PISA)ランキングでは、日本は世界3位ですが、アメリカは31位です(OECD、2016年)。厚生労働省の調査によると、最低賃金に近い水準で働いているほとんどの日本人は高卒以上です。一方、アメリカ政府の2016年の分析では、3200万人のアメリカ人は読解力が足りないといいます。

このような複雑な事情にはいっさい言及することなく、「最低賃金は雇用に悪影響を及ぼす」という結論へ導くために、海外論文の一部を恣意的に解釈した意見が氾濫するのは、ただ残念の一言です。

改めて強調しますが、人口減少・高齢化という巨大な問題に対応するためには、中小企業の社長だけではなく、日本社会全体が大局的な視野に立つことが求められていると思います。

デービッド・アトキンソン 小西美術工藝社社長

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David Atkinson

元ゴールドマン・サックスアナリスト。裏千家茶名「宗真」拝受。1965年イギリス生まれ。オックスフォード大学「日本学」専攻。1992年にゴールドマン・サックス入社。日本の不良債権の実態を暴くリポートを発表し注目を浴びる。1998年に同社managing director(取締役)、2006年にpartner(共同出資者)となるが、マネーゲームを達観するに至り、2007年に退社。1999年に裏千家入門、2006年茶名「宗真」を拝受。2009年、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手がける小西美術工藝社入社、取締役就任。2010年代表取締役会長、2011年同会長兼社長に就任し、日本の伝統文化を守りつつ伝統文化財をめぐる行政や業界の改革への提言を続けている。

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