山田孝之「どんな役でも爪痕残す」怪優の魅力 「全裸監督」怪演につながる迷走期との戦い

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キャリアの多くをほぼ主演で駆け抜けた山田だが、こうして主演ではないときにも観る者の目を確実に奪う。きっとトンデモ駄作への出演依頼も多々あったに違いない。意義のある作品のみに出るようになった気もする。

ナレ期・自演期のモラトリアムを経て

ちょうどこの頃、NHKが山田の声を多用し始めた。最初はBS、そしてEテレ、さらには総合へ。立て続けに山田ナレーション番組が放送された。「新・映像の世紀」(2015)で聞いたその声は、NHKアナウンサー級の滑舌のよさと美しさで、一瞬誰かわからなかった。

俳優がナレーションをすると、だいたい声でわかるのだが、山田は声音が別人。しかも番組によって微妙に変える技。ナレーションが妙に増えた「ナレ期」は、山田の演技を観たい人にとっては歯がゆかったが、これはこれで別の満足感があった。

さらに、自分を売る・自分を演じるブーム、いわば「自演期」が訪れる。とくに、テレ東でドキュメンタリードラマや謎のバラエティー番組を量産。切り口と手法は新しくて面白かったが、「山田孝之100%」よりも「山田孝之0%で完璧に他人になりきる山田孝之」に興味がある私としては、ドラマに戻ってきてほしかった。

だからこの自演期は勝手ながら「迷走期」とも呼ばせてもらう。キャリアの長い俳優ならこうした「モラトリアム」期間がある。それもこれも、すべては次なるステップのためだったのだ。

山田が演じてきた役は多彩だが、最近は観る者に共感や憧憬を抱かせる役をほとんどやらない。そこがいい。抱えてきた葛藤の深さも感じさせる。そこにきて、満を持してのNetflix「全裸監督」だった。

山田孝之が出演している「全裸監督」シーズン1より(写真:Everett Collection/アフロ)

アダルト業界で一世を風靡した村西とおる監督は、よくいえば破天荒だが、搾取された女性にとっては害毒の存在。昭和バブルの残滓という印象も強い。テレビドラマでこの業界と人物を描くのは不可能だ。テレビはつねに怒られないよう、細心の注意を払う忖度と迎合の集合体だから。

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