JR北海道「新たな自殺者」と「アル検拒否」の歴史 国交省鉄道局も「とうてい理解出来ず」と批判
【( )内は筆者補足】
前出のJR北海道関係者が続ける。
「この(国交省による)立ち入り検査後も、中島社長は社員に対し、アル検の『完全実施』、つまりは、乗務員全員を対象にした、無条件での、アルコール検査の義務化を求め続けました。一方の組合側は、こんな、鉄道員として恥ずべき(国交省の)指導を受けても、その考えを改めることなく、(アル検をめぐる)会社と組合との膠着状態は、中島社長が亡くなるまで続いたのです」
鉄道の常識では考えられない事態
しかし、このアル検をめぐって、組合には妥協しないとした、JR北海道経営陣の姿勢は、中島社長の死を機に一変したという。関係者が続ける。
「中島社長の死後、坂本(眞一)相談役(14年1月に自殺)、小池(明夫)会長(14年4月に更迭)、そして柿沼博彦副社長(当時、後に特別顧問)らは、アル検について、以前、組合側が出してきた『酒を飲まない社員は登録制にして、検査の対象から除外する』という条件を呑んだのです」
この「アル検問題」をめぐるJR北海道労使の姿勢は、その後、メディアや国会、そして、JR北海道の利用客の猛批判を浴び、同社は導入から5年後の13年11月になってようやく、乗務員全員を対象にしたアル検を義務づけたのだ。
この列車の安全運行の根幹をなす「アル検」に対する、JR北海道労使の、世間の常識から逸脱した姿勢については、今回、上梓した『トラジャ――JR「革マル」30年の呪縛、労組の終焉』で詳述した。
ところが、冒頭で記した自殺した運転士は、亡くなるまでに「6回」も、そのアル検に引っかかっていたというのだ。JR北海道関係者が再び語る。
「運転士はアルコール依存症といってもいい状態で、最後(6回目)にアル検に引っかかっていたのが8月と聞いています」
この関係者の証言が事実ならば、運転士はそれまで5回にわたってアル検に引っかかっていたにもかかわらず、少なくとも8月まで乗務を続けていたことになるが、これにはほかのJR各社も首を傾げる。
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