実録!「連帯保証人」になってわかったMMTの本質 会社を畳んで考えた「貨幣とは負債である」

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今日の貨幣論であるMMTは、この3つの貨幣論のいずれにも不備があるとする。商品貨幣論は、もともと貨幣とは物々交換の不便を補うものとして発展し、保存が可能で、持ち運びが便利な、交換の万能性を有した価値、つまりは万能商品のようなものだというものだが、物々交換による経済など歴史上存在していないという事実によって覆される。

2番目の国定貨幣論は、国家は貨幣を作り出すことは可能だが、国家権力が及ばないところでも流通する地域マネーをうまく説明できない。

3番目の信用貨幣論は、前2者に比べればはるかに現代貨幣の本質に近づいているものだが、最初に貨幣への信頼が生まれたのは何によってなのかという問いにうまく答えることができない。

MMTは、上記のうち、国定貨幣論と信用貨幣論を架橋してみせたのである。MMTが主張するのは、貨幣とは社会的技術であり、貨幣とは国家が税の受領という行為によって信頼を供与した負債であるという、国定信用貨幣論である。

わが身体的「MMT」論

「貨幣とは負債」という当たり前のことを理解するためには、現代貨幣というものが「通貨と預金」であるという事実に注目する必要がある。

例えば私の会社が1000万円の融資を受けると、銀行は会社の通帳に1000万円と記帳する。別に、札束を私に届けてくれるわけでもないし、その金額に見合う通貨をそろえている必要はない。

つまり、銀行は通帳に記帳するだけで、貨幣を無から作り出したのである。ただし、この通帳貨幣は、もし会社が銀行に請求すれば紙幣を払い出さなければならない。だから、銀行が作り出した1000万円は、銀行の負債でもあるのだ。

さて以下は実話なのだが、連帯保証人である私は、会社を畳むために、年来の負債を返済したばかりだったので、この言葉はなおさらリアルに実感された。

私は自分の個人口座に記帳された残高のほとんどを、融資銀行へ振り込むことで融資残高をゼロにした。銀行が融資の際に作り出した“印字貨幣”もこの瞬間にゼロに戻ったのである。この間、現金のやり取りは融資から引き出した紙幣以外にどこにも顔を出すことはなかった。

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