人口急減時代の「日本」という国のたたみ方 「47都道府県」のあり方をいま一度考える
戦後の日本が一貫して続けてきた高速インフラの整備は、もともとは地方分散型の国土を目指したものでしたが、狙いとは逆の結果になっています。
それは、ソフトインフラとも言うべき高次の意思決定の仕組みを、集権構造のまま温存してきたからです。移動に時間はかかりませんが、移動のコストが高すぎる点も分散の進まない要因です。こうした人の流れを変える構造改革こそが、日本がいま最も必要としている国家政策ではないでしょうか。
改革の時代は終わったのか
最近、地域の再編とか自治制度の見直しという「国のかたち」を変える改革の時代は終わった、という意見を散見します。これからは、国だろうが自治体だろうが中間的な団体だろうが、社会保障など最低限のサービスを提供すればよい。極論すれば、もはや団体自治のあり方は問題でなく、住民自治のあり方こそが問題だというのです。
そうでしょうか。確かにAIなどハイテク技術を公共サービスの分野に活用する必要はあるし、それは進めなければなりません。ですが、どの主体がサービス提供者になろうが、最少の費用で最大の効果が上がれば統治の仕組みはどうでもよいという機能論的な考えでうまくいくでしょうか。
誰がどのレベルで意思決定をし行政経営を行っていくのか、その主体を問わないという姿勢は少し乱暴ではないでしょうか。
時代は右肩上がり社会から、これまで経験したことのない「右肩下がり」社会へ急速に移行しています。これまでの目いっぱいに膨れ上がった仕組みを賢くたたみ、再編していくことがどうしても不可欠です。
近著『この国のたたみ方』では、そうした問題意識から、いま議論の欠けている「中長期からみた国のかたち」について考察しています。
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